そして春香さんはこの南三陸町は、今回の取材が初めてですか ?そうですね、こちらに来たの は今回初めてなんですが、5年たった今、まず来てびっくりしたの が、どこも町どこ行っても土が高く盛 られていて、そしてショベルカーがたくさんい て、本当に町全体が、大きな工事現場のようになっていて、まさに道半ばなんだなという感じ がしました。 この南三陸町ではこの高さは8.7メートルで、この大きな防潮堤の向こう側の地 盤を10メートルほどかさ上げして、町全体を10メートル以上の高台 にするという大工事が行われています。
これはフレコンバッグといいまし て、除染などで出た草木や土などが入っているんですが、去年12 月末の時点で、環境省の発表によりますと、フレコンバッグは1000万袋以 上あります。 膨大な数になりましたけれど もね、中間貯蔵地、それから最終処分場の問題っていうのは、まだ 完全に解決してるわけではないので、この問題っていうのも大きな 課題だと思いますね。 この楢葉町なんですが、来年の春には全町民帰還という目 標を掲げているんですが、現実的にはこのような数字となっ ています。 あの東日本大震災から丸5年。
実は震災当時の建物で唯一残っている建物なんです。 この屋上部分に、当時300人以上の方が避難をさ れて助かったんですが、でも避難してもね、ひざぐらいまで屋上で水が来たそ うですから、あそこまで津波が上がったという ことなんですが、私、実は震災の直前に、あそこで講演してるんですよ。 だもんで、震災後、真っ先にこの地に来たんですが、 先日、今、高野会館どうなっているのか、中を見ることができまし た。 南三陸町で唯一、被災当時の姿をとどめている高野 会館。
震災から丸5年を迎えた南三陸町。 甚大な被害を受けた南三陸町 を、辛坊が再び訪れたのは、震災から1か月半後のことだった。 この場所で魚の加工場や鮮魚 店を経営していた、山内正文さん。 南三陸町の新たな中心地としてに ぎわいを見せた。 店や加工場を流された山内さ んも出店していた。 山内さんの加工場も解体が決まっ た。 魚の加工場?どうですか?この5年間。 津波で店と加工場を流された 山内さんは、去年8月に加工場を再建。
ここは10メートルでは、前 回の東日本大震災級の津波には耐えられない?耐えられないです、足りないです。 どうなんですかね、これどこ 行っても、比較的同じようなプランニングで行われてるんですが、 県の主導、国の主導、いろいろあると思うんですが、町長の主導力というか、どこまで の権限があるんですか?基本的には、高台移転を決めたのは震災の翌月 に決めました。
じゃあその高台移転がどうなって るかなんですが、後ろに見えますかね?山の斜面にちょっと日の当たって いる所と当たってない所と、色がはっきり分かれてて、斜面にこう、上に向かって筋のようなものがあ る。 あそこが高台移転の場所というこ とで、春香さん、取材に行ってくれた。 あそこが高台移転の一つの場 所なんですが、今、高台移転はどこまで進んでいるのか、そして人 々は再び町に戻ってくるのか、取材してきました。 宅地造成がされている場所に私、商売の場所と住む場所とを分けて 作られる新しい南三陸町。
この方々は国勢調査のカウントに はなっていませんので、この方々をいかに帰還してもらうのかって いうのが、町としても大きな仕事だなと思い ます。 ただ、それ、帰還されても、 今後の人口比なんですが、東日本大震災でぐっと人口が減っ ているのがここで分かるんですが、このあとさらに減り続けて、特に65歳以上のこの青のライン が、2040年には半分近くまでになると。 津 波と原発事故、二重の苦難に立ち向かう福島県楢 葉町の今を、森キャスターが取材。 福島県楢葉町から中継です。
さて、このJR常磐線なんですが、東京方面からいいますと、私たちの木戸駅の次の駅、竜田駅 までしか今、行くことができないんですよね。 さて、今、ちょうど電車が入ってきたところですけれども、話 が途中になりましたが、JR常磐線というのは、この列車が今、さ っき出発してきた竜田駅までしか、実は東京方面には行くことができ ないんですね。 というわけなんですけれども、 この楢葉町は、原発の20キロ圏内で、すべての町民の人たちが戻ること ができますよというふうになって、初めての自治体なんですよね。
帰還した町民の家を回り、生活状況の確認などを行っている、生活支援相談員の矢内幸子さん。 復興に従事してる作業員の方 々が、毎日、冷たいお弁当食べてるって いう情報を聞いたりしたので、なるべく安価で、早く出せるスタイルの飲食店、やってみたいなと思って、出して みた。 被災後初めて、楢葉町で展示会を開催することが できた。 震災後の避難生活で生きがい を失った人々を元気づけようと、震災前から行っていた布細工の教 室を、4年前、避難先のいわき市で再開。
その中で理由を聞きましたら、3 位、水道水など生活用水の安全対策、2位、福祉施設の再開や充実が気になる といった点が挙げられています。 でもやっぱりそれ以上に、岩田さん、生活環境が整わないとという。
生活環境が整ってから、人が 戻ってくるのか、あるいは人がたくさん戻ってきて から生活環境が整うのか。 今、先ほどの放 射線量が0.1マイクロシーベルトということは、年間通じて健康 に影響がない数字だということも、一つの事実なんですが、もう一つ の事実でいうと、やっぱり東京、大阪などに比べると、倍ぐらいの 放射線量というのはあるという、そのあたりをどう理解するかです よね。 改めて東日本大震災の被害をまと めてみました。 宮城県石巻市門脇地区。
奇跡的に見つかった写真を手 に、父は遺体安置所へと向かう。 東日本大震災から3年、4年と、時が過ぎた。 航空写真から作られた立体地図に は、高梨さんの家も、再現されていた。 生島さん、東日本大震災で亡くなられた方が、先ほど1万5894人というふう にお伝えしましたが、その一人一人に人生があり、ご家族がいて、ご遺族がいて、生島さんご自身も妹さんを亡くさ れて。
去年8月、東京・中野区のマンションで、劇団員の女性が殺害 された事件で、警視庁は当時、犯行現場となった女性の自宅の近 くに住んでいた、37歳の男を逮捕しました。 男はけさ、福島県内で逮捕され、現在、こちらの警視庁本部に向け、身柄を移送しているということで す。 警視庁は交友関係や現場周辺の人 物などを中心に捜査を進めてきましたが、その後の調べで、現場に 残されていたDNA型が、当時、現場近くに住んでいた37歳の男 のDNA型と一致したことが、捜査関係者への取材で分かりまし た。
阿部さん、さんさん商店街、 オープンして4年という月日が流れましたが、振り返ってみていかがでしょうか ?さんさん商店街オープン以来、多 くの方々のご支援を頂きまして、また地元のお客様はじめ、全国から多くのお客様においでい ただきましたことを、商店街一同、きたいと思います。 つまりはふだん、商店街はやはり、単に物を、商品を提供したり、サービスを提 供したりする場ではなくて、地元住民の方の情報交換の場であ ったり、交流の拠点でありたいと思ってお ります。