24時間テレビ PART.7 「愛~これが私の生きる道〜」

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この番組のまとめ

世界にはまだまだ、私たち日本人が想像もできないくらい、過酷な環境で生活している方たちが、たくさんいらっしゃいます。 しかし、そこには、彼らを救おうと立ち上がった日本人、そして、彼らを救う日本人の知恵が、そこにはありました。 映画のときは疑問が多くて、なんでこんなに生き生きしてるんだろうとか、またアフリカへの親密度みたいのが変わって、距離感みたいなものも。 価値観が変わるんですよね、アフリカに来ると。

今やってるプロジェクトは、たぶん、日本人が付かない、私が現場に行かずに進行してる初めてのプロジェクトなんですね。 ちなみに井戸を、ここの村人とはまた違う人が来たことによっての、けんかとかにはならないんですか?コミュニティーAにあるからといって、コミュニティーBが使えないわけではない。 ありますよね?それはコミュニティーの中でも中でもあります。 実はケニアの農村地帯では、手を洗う習慣がほとんどなく、その普及に努める支援団体もあるのです。

結局、滞在1週間、私がいる間に、井戸が完成することは絶望的な状況に。 状況が好転しない井戸は、いったんストップ。 世界に9億人もいるといわれる、実際に現地に行かれて、いかがですか?実際にあの井戸1つで、1000人の人が救われているんです。 毎年アフリカ行かせていただいて、やはり、本当に生活が豊かになっていくなと思って、これからも人のため、さて、菊池桃子さん、そういったことと同じような活動を、菊池さんもされたんじゃないでしょうか。

あとはもう、本当に気力で、武道館目指します。 さあ、現在、武道館では、石原さとみさん、今田耕司さん、そしてオリエンタルラジオのお2人が皆様の募金をお預かりしています。 年に1度の24時間テレビ生チャリティー笑点。 そうでしょう、皆さん!はい、そうです!そしてことしは、昇太師匠が司会となって、初めてのチャリティー笑点ですが、意気込みはいかがでしょうか?意気込みはあるんですけれどもね、この人たちをまとめるの大変なんですよ。

座布団運んで笑顔を送る、これが私の生きる道。 日本一の座布団運び、山田隆夫です。 たい平、武道館で座布団10枚持って、待ってるよ!皆さん、さすがのごあいさつでした。 そしてここで先ほど、武道館からお越しいただきました、スペシャルゲストをご紹介いたしましょう。 この方です!波瑠さんです、なんか笑点メンバーの中に入ると別の生き物みたいですね。 芸道精進名人目指す、これが私の生きる道。

これ、不思議でしょう。 不思議ですね。 マーケティングリサーチ。 のこり1割、だから必ずイクラを選んでいただけるという、そういうマジックでございました。 波瑠さん、39年間、僕らやってますけど、このマジック、一度もタネがばれたことがないんです。 すっごい不思議ですよ。 昇太さん、波瑠さんのマジック、いかがでした?いや、よくね、ぐるぐるぐるぐる回ったなと思って、びっくりしましたけれども、ここでいつもの決めぜりふ、言っていいですか?あの、すみません、結婚してください。

やったー!小遊三さん。 いちいち立たないの!だから取らないの!木久扇さん。 大河内伝次郎とかたおかちえぞうの、チャンバラ映画の対決で見つけました。 イエス、イエス!香葉子さん、大喜び。 生放送でお届けしている笑点チャリティー大喜利。 じゃあ小遊三さん。 木久扇さん。 じゃあ、小遊三さん。 パンツの間入れたら、これは後ろに、これは割れ目のとこからカブトムシがこうやって。 虫籠を持っていきなさい、虫籠を!それはね、時間稼ぎだよ。 木久扇さん。 以上、笑点の大喜利、これまででございました。

カブトムシ野郎!昆虫と遊んでろ!昆虫と!つめ合うことではなくて、同じ方向を一緒に見ることなんだよ。 たい平君がああやって一生懸命走ってるんですよ。 今、口が開いていますが、ラストスパート、日本武道館を目指しています。 本当にね、ひざがだいぶ痛んでるみたいで、一度、休憩場所に行ったんですけれども、もうひざを曲げるのが難しいみたいでね、相当今、大変だと思いますけれども、頑張って走ってほしいですね。

桂歌丸。 歌丸師匠が、まずは、暗闇の海から引っ張り上げてくれた。 その後、桂門下に入門し、今の芸名である桂歌丸となる。 1965年、歌丸は、金曜夜席という演芸番組のオーディションに参加。 実はこのとき歌丸は、新参者、たい平のために、ある行動を取っていた。 歌丸の愛ある粋な計らいで、たい平はいつしか笑点になくてはならない存在となった。 ことし5月、人生を変えてくれた大師匠、歌丸が、笑点を勇退することになった。

落語家になって、笑点に出させていただいて、歌丸師匠に出会わせていただいたことが、本当に僕の宝物です。 先ほど記者会見でちょっと昇太師匠が羨ましいなと思ったのは、あんなにずっと歌丸師匠と握手をしていた、それがちょっと、羨ましかったです。 昇太さんは、このエピソードをご存じでしたか?いや、僕知らなかったんだけど、僕がたい平君の後に入ったときも、やっぱり歌丸師匠は、僕のこと、よく指してくれたり、座布団取ってくれたりいろいろしてくれたんで、やっぱり、下の者を引っ張り上げてくれる。

じゃあ、ニッポンの愛を探すダーツの旅に、ダーツの旅的全国1億人インタビュー。 会津美里町、さあ、入りました!これは、歩いている方がまずいないという、座布団10枚と同じぐらいの試練かもしれないですね。 福島県西部に位置する会津美里町は、町外れの農道を流していると。 収穫?なんの収穫ですか?キュウリです。 キュウリ。 キュウリ、あっ、これ?そうそうそう。 ありがとう、インタビューに答えてくれて、気持ちだから、キュウリあげるよ。 という事でここからは、木久扇師匠と共に、ダーツの旅再スタート。

あっ!うまい!三平君の代わりに、俺、座るよ。 ほっとけぃ!24時間テレビのテーマなんですけど、一番愛してるものは、なんですか?愛しているのは、孫です。 草むしり?ちょっとおそばに行ってもいいですか?なんか用ある?三平さん?三平です!木久扇師匠です。 年取ってくっと、でもな、どっからどこがあれだか、わかんねえからな!今、24時間テレビで、ことしは愛がね、テーマなんですけど、一番お母さんにとって愛を感じるのは?孫だよな。 三平さんね、結婚して、今度、新しいお子さん生まれるの。

6か月検診のときに、なんかそわそわしてて、行ったほうがいいのかなって覚悟決めて行ったら、精密検査しまし生後6か月たっても、首が据わらなかった真心ちゃんに、突然、医師から告げられた病名、それは、福山型先天性筋ジストロフィー。 でも私は筋ジストロフィー、あんま知らなくて、どんな病気かとか、どういうふうになっていくのかとか、はぁっていう感じで聞いてて、目の前に真心がいるから、なんか普通に、さっきまで健常って言われた子をだっこして、悠太がなんかだんだん鼻息が荒くなってきて。

自分の感情でいっぱいいっぱいだったときは、ろくに真心の顔見てなかったなっていうのが、今、思い返すと。 気付けば、いつもそばで笑っていた真心ちゃん。 早速、リハビリを始めた真心ちゃんは、とっても頑張り屋さんでした。 でも、補助器具があっても、筋力が弱い真心ちゃんにとっては、立っているだけで大変なこと。 それでも真心ちゃんは、毎日一生懸命頑張ります。 そんな成長をうれしく思う反面、5歳から6歳が筋力のピークといわれる、真心ちゃんの病。

わっ!真心ちゃん、得意のダンスタイム。 福山型先天性筋ジストロフィーは、現在、医療ケアが進み、長く生きられる方もたくさんいます。 でも、加藤さん、すばらしい冒険が、真心ちゃんもできたんじゃないですか?このVTRで初めておひるねアートの出来上がりをご覧になりました。 お母さん、いかがでしたか?すごい撮ってるときは、どんなふうになるのか、全然想像つかなかったんですけど、こうやってうまく編集していただいて、真心が、すごいきゃーって、すごい騒いで喜んでいたので。

病弱だけど、いつも笑顔でポジティブだった哲也さん。 哲也さん38歳のとき。 ある日、大量の下血をした哲也さんは、緊急入院。 哲也さんがそう思えた瞬間でした。 初めはがんを理由に結婚をちゅうちょしていた哲也さん。 それでも1人になったとき、ふと頭をよぎるのは哲也さんの死。 医師である浩子さんが、覚悟を決めるほど厳しい状況の中、泣くな。 10代で小児がんに侵され、死と隣り合わせの人生を送ってきた哲也さん。 いつしかいとおしく感じるようになり、医師ではなく、妻として一番近くで支えたい。

2年3か月、結婚生活は短いものでしたが、哲也さんは今も、浩子さんと共に生き続けています。 改めてですけれども、2年ちょっとという結婚生活ですが、どういう結婚生活でしたでしょうか?ちょっと短かったんですけれども、一日一日、大切に過ごして、たくさんの宝物を頂いたので、本当にとてもよかったと思ってます。 こちらにリオオリンピック重量挙げ女子48キロ級銅メダルの三宅宏実選手と、お父様の義行様が来てくれました。 そして日本ウエイトリフティング協会会長でもある、小池百合子東京都知事も駆けつけてくれました。

その大チャレンジは、盲学校とろう学校の子どもたちのよさこい大パフォーマンスとなります。 それぞれの思いを胸に、盲学校とろう学校の生徒たちがお互いに助け合う。 今回、盲学校の生徒7名と、ろう学校の生徒19名がチャレンジするのが。 もう、パーフェクトに踊りたい!成功させるぞ!よさこい!盲学校チームも、ろう学校チームは、徐々にリズムが合うようになってきました。 そんな中、落とした鳴子を必死に探す盲学校の生徒がいました。 こうやるの?休憩中も人一倍質問攻めしているのは、田中沙季さん。

本人は見えてるわけで、手術して真っ暗闇になっちゃうっていうのを、なかなか言えなくて、結構つらかったですね、そのときは。 沙季さんは、摘出手術に向かう前、最後に見た景色を鮮明に覚えていました。 その手術をするとき、摘出するときっていうのは、一番今までつらかったことになる?はい、そうですね。 で、だから大丈夫だからって言って、そのときは、そうですね、だから。 23時間の大手術で左目を摘出。 今、一番見てほしいなって思うのは?お母さんですね。 疲れちゃった?大丈夫?大丈夫。

東子ちゃん、踊ってみて、どうだった?本番までたくさん練習していって、すごいいろいろなことがあって、すごいいろいろな思いもあったけど、きょう、ここで発表大成功することができて、本当によかったです。 でも本当に、みんなこの暑い中、本当に暑い体育館で練習したりとか、本当に頑張ってきましたし、本当に、この夏、僕らも心からいい思い出を作ることができました。 これからまたリオのパラリンピックが開かれて、2020年にも、東京でパラリンピックが開かれる。

さあ、たい平師匠の様子いかがですか?その笑点メンバーの皆さんが、武道館で待ってくださっているということは、恐らくまだ、このたい平師匠は知らないでしょう。 なんとか一歩一歩、日本武道館を目指そうという林家たい平さんです。 ことしでチャリティーマラソンは、記念すべき25年目を迎えるんですが、これだけの雨の中のゴールというのは、恐らく1994年のダチョウ倶楽部さんのとき以来、22年ぶりに日本武道館のゴールを目指そうという林家たい平さんです。

当初は9人でスタートしたNEWSです。 4人になったNEWSの今の思いを、皆さんに聞いていただきたいと思います。 僕たちNEWSは4人になって、これからも僕らは、前をまっすぐ向いて進んでいきたいと思います。 僕たちNEWSは、応援してくださる皆さんのおかげで、苦しい時期を乗り越えることができました。 NEWSはこれからも愛を持ってNEWSらしい道を歩んでいきます。 それではNEWSを応援し続けてくれる皆さんのために、NEWSが愛を込めて歌います。 この思いがNEWS4人の生きる道です。

落語については何も言わなかったけど、本当にかっこいいこん平師匠の弟子でよかったと言っていました。 今、たい平師匠向かっています。 さあ、日本武道館には、加山雄三さん、そして谷村新司さんにお越しいただきました。 やっぱりサライということで、谷村新司さん、加山雄三さん、高校の部活の合宿の最終日、24時間テレビを見て、最後にサライをみんなで肩を組んで合唱した記憶を思い出します。 再び日本武道館に向かおうという、たい平師匠です。 木久扇師匠、いかがですか?たい平師匠の走りです。

たい平師匠の走り、いかがでしょうか、蛯原さん。 なんと、先ほどたい平師匠が手を挙げまして、スタッフに向けて、練習した最後の夏を楽しもうと言いましたね。 さあ、ここは歌でたい平師匠にエールを送りたいと思います。 たい平師匠がこの時間内に日本武道館に戻っていることを願って、みんなでエールを贈ります。 あと少し!さあ、なんとか時間内に、こん平師匠、待っています。 さあ、たい平師匠が今、足の痛みと戦いながら、ちょっとギアチェンジしましたね。 さあ、引き続き歌でこのたい平師匠にエールを送っていきたいと思います。

こん平師匠、待ってます。 さあ、頑張れ、たい平師匠。 頑張れ、たい平師匠!蛯原さん、だいぶ近づいてきたんじゃないですか。 次の50年に向けてという話もしていた、たい平さんが、まもなく最後の日本武道館の残り600メートルのあの上り坂にさしかかろうとしています。 しかしそれが落語家、皆さんを笑わせて幸せにしようという、たい平師匠の心意気です。 待っているこん平師匠、師匠が病で倒れまして、代打として座布団を守ってまいりました。 その林家たい平師匠が、最後の上り坂、走っています。

一切、苦しい、つらいと言っていなかった、苦しい表情を見せたくないと言っていたたい平さんが、最後の最後、涙を、涙を必死にこらえて、痛みをこらえて、今、おっと、今、ここで、笑点メンバー、昇太師匠、円楽師匠、三平師匠、そして山田さんの全員が一礼しました。 時間が!日本武道館です!さあ、たい平師匠の姿が見えてきました。 100.5キロを走りきった、林家たい平師匠です。 さあ、ゴールテープの向こうには、たい平師匠、正面を見てください。

そのこん平師匠の元に顔をうずめました。 こん平師匠、いかがですか?たい平師匠のゴールです。 やったね、よかったねと、声を、こん平師匠がたい平師匠にかけました。 さあ、たい平師匠、こん平師匠への思いも、走る理由の一つ、大きな理由の一つでした。 今、ゴールして、こん平師匠へ、どんな思いですか?マラソンのスタートで、師匠からものすごい勇気をもらいました。 三平師匠、お願いします。 一時はちょっと心配しましたけどね、やっぱりこん平師匠が待ってるっていうのは、当人、すごく力になったと思います。