ドイツが愛した日本人 佐々木蔵之介が巡る、ある日本人医師の物語

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この番組のまとめ

僕ってわけでは ないですよね?「故コエヌマ・ノブツグ医師の ご遺族 親戚の方リーツェンの人々は 同医師のため立派な墓を建て 今も献花が絶えません」東ドイツから伝えられることが なかった肥沼の消息が冷戦の終結にともない「尋ね人」という形で 伝わったのです肥沼が消息を絶って 40数年…この記事を 日本の親族が目にしたことでドイツのドクター・コエヌマと肥沼信次が一致したのです1908年 東京八王子に 誕生した肥沼は…そう呼ばれるほど 猛勉強した肥沼は日本医科大学で 医師免許を取得するも東京帝国大学の 放射線研究

しかし…ついにこの日 ベルリン脱出の 決断を下しました大使館には この時50人近くのスタッフが いたと言われています大使館員の証言によれば 当時 用意された…ついに ベルリンを去ってしまいますそう考えたのでは ないでしょうかベルリンから60kmほど離れた 穏やかな田舎町それは肥沼の墓肥沼とともに働いていた 看護師たちがこの場所に 彼を埋葬したのです肥沼のことを知った シュモーク博士はその後 肥沼に関する 多くの証言を集めました肥沼さんは えっと ベルリンから こちらまでどういう足取りが あったんでしょうか

ここで 肥沼さんが目にした人々は肥沼さんのように 戦争で 日常を奪われた人たちでした病に苦しむ患者たちは肥沼さんの目に どう映ったのでしょうか市長は 肥沼さんの功績を称え「肥沼ルーム」という 部屋を作り肥沼さんに関する資料を 大切に保存してくれていました当時17歳だった 看護師のフィードラーさんそして 当時15歳だった 家政婦のエンゲルさん肥沼のもとで働いた2人はヴリーツェンを訪れた 肥沼の弟・栄治さんと交流を深めその関係は 栄治さんが 亡くなるまで続きましたどういう意図で 送ってくださったんでしょうか?