NNN newsevery.特別版 震災7年 知りたい災害新常識

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この番組のまとめ

1万5000人以上の命が失われた東日本大震災から、きょうで7年。 東日本大震災から7年。 実はこの施設、大雨が降り、河川が氾濫の危険に達するとゲートが開き、地下に広がるトンネル内へと、水をいったん引き込むことで、未然に氾濫を防ぐことを目的としています。 藤井キャスターが下りたのは、環状7号線の地下を4.5キロにわたって走る貯水トンネル。 実は練馬区の目白通りの地下にも、同様の機能を備えるトンネルがあり、その2つを連結するための工事が行われています。

さらに地下街でも対策が。 市の中心部を流れる川が氾濫した場合を想定し、タイムラインと呼ばれる、事前防災の計画を打ち出しました。 台風が発生したとき、地下街の管理者は気象庁が発表する進路予測などをチェック。 地下街閉鎖の準備を始めて、氾濫したときには地下街に誰もいない状況にします。 地下街を利用されているお客全国の皆さん、こんにちは。 7年前のきょう、東日本大震災が発生し、ここ大槌町は、巨大な津波に襲われました。 去年3月、ほとんどの地域で避難指示が解除され、来月、ようやくこの村で、小中学校が再開されます。

この建物の2階は町議会の議場だったということですが、津波が押し寄せる中、破壊され、津波で役場からは、住民の情報が入ったコンピューターサーバーなどが流されてしまったということなんです。 大槌町の中心部にあります町方地区という場所です。 改めて、こちらの旧庁舎です大槌町の町長は、解体する方針を示しています。 町長は、この建物を見ることが耐え難いという人々の気持ちに寄り添うべきとしていて、これに賛成する住民がいる一方、津波の脅威を伝える建物として、解体に反対する声も上がっています。

どんな地形でも走れるという、全地形対応車、通称、レッドサラマンダーです。 水の中でも、東日本大震災のとき、消防車両の多くがぬかるみやがれきで動けなくなった苦い経験から、2013年にこのレッドサラマンダーが導入されました。 平たんではない道では、日本で1台しかない消防車両、レッドサラマンダー。 今回、土砂崩れのような場所で、レッドサラマンダーに乗せてもらったんですが、全く危なげない感じで、思った以上に安定感がありました。

午後3時48分、海からおよそ1キロメートルの地点でカメラが捉えたのは、すさまじい津波の姿でした。 撮影場所はショッピングセンターの屋上。 津波が来る数分前に、後藤さんはスロープを駆け上がり、駐車場の2階に避難しました。 立体駐車場の反対側を捉えたカメラには。 マンションの非常階段を見つけ、駆け上がったときには、辺り一面、津波に飲み込まれていました。 ですから、後方から津波が来てるっていうのは、全然感じなかったっていうのが実情だと思います。 津波の直撃を受けず、けて、周りの声から情報を入手し、脱出路を確保。

先月のピョンチャンオリンピックで金メダルを獲得した、羽生結弦選手です。 宮城出身の羽生選手は、7年前のきょう、地元の仙台で震災に遭遇しました。 オリンピックのエキシビションには、羽生選手の被災地への思いが込められていました。 先月のピョンチャンオリンピック。 エキシビションでは、震災への思いを込めました。 2011年、羽生選手は仙台市で震災に遭いました。 しかし、将来を期待されていた羽生選手は、その後、仙台を離れました。 2014年のソチオリンピック。

こちらは福島県飯舘村で、来月から再開される小中学校です。 今月5日、福島県飯舘村。 今月末に飯舘村に戻り、この家で、両親と共に祖父母と一緒に住む予定だといいます。 中学2年生の22人全員が4月から飯舘村の新校舎に通う予定です。 除染作業で出た大量の土砂の仮置き場が、今も多く残っている飯舘村。 生まれ育った故郷、飯舘村へ今月4日、新校舎の内覧会には、家族と共に教室などを見て回る阿部君の姿がありました。

高層マンションが立ち並ぶ東京・中央区。 そこで中央区が呼びかけているのが、避難所に行かない、在宅避難です。 先ほどのマンションでは、地震で水道が止まっても、その在宅避難をするうえで注意しなければいけないことがあります。 震災以降、福島各地を回り、ありがとうございます。 支援活動は多岐にわたり、TOKIOが出演するCMも手がけ、福島の自然や食べ物の魅力を発信しました。 TOKIOは言うぞ、本当の福島、おいしい福島。 震災から7年たった今もなお、ふるさと、福島を支援し続ける箭内道彦さん。

継続的に被災地を訪れている方だからこそ、町や被災者の心の変化が気付けていて、ことばに説得力があります。 岩手県宮古市の田老地区です。 あの日、風になびく青いこいのぼりのもとに、多くの人が集まるようになり高校3年生だった伊藤健人さんのもとに寄せられたものです。 それでは伊藤健人さんにお話を伺います。 岩手県で亡くなった方は4674人、行方不明者は1116人となっています。 私はこの1か月、陸前高田、南相馬、飯舘などを訪れましたが、建物や人と人の復興は着実に進んでいました。