真相報道 バンキシャ!

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この番組のまとめ

1990年、高円宮家の三女として誕生された、絢子さま。 バンキシャは、一般の結納品に当たる納采の品に注目。 そこには、きょう行われたのは、高円宮家の三女、絢子さまの納采の儀。 絢子さまには清酒や生地などの納采の品が贈られた。 一対の鯛は美智子さまの納采の儀でも贈られた。 特に三笠宮家の場合は、これまでずっと鮮鯛料で済ませてます。 したがって、高円宮家は三笠宮さまの三男、それのお子さまですから、恐らくそういった三笠宮家の慣習に従ったのではないかと思うんですけれども。

絢子さまの披露宴用のドレスに仕立てられる白のレース生地が贈られたが、どこで作られたか、明らかにされていない。 皇室に嫁がれる方たちに生地を納めた織物会社によりますと、ドレス1着分で100万円ほどだということです。 ただ、この織物会社では、このように飛行機の座席だったり、新幹線の座席にも使われる布を作っているということで、実は身近な所でも私たちが触れていたと。 火曜日、秋篠宮家のまこさまのお相手、小室圭さんが、現地の弁護士資格を取るため、しかし、この納采の儀について、大学の寮だ。

その胸には、北朝鮮人民が着用している赤いバッジ。 およそ60年前に始まった帰還事業で、在日朝鮮人の夫と共に北朝鮮に渡った日本人妻です。 北朝鮮東部の港町、ウォンサン市。 福岡県から在日朝鮮人の夫と共に、北朝鮮に渡った日本人妻だ。 やっぱりね、地上の楽園と宣伝された北朝鮮。 渡った在日朝鮮人と家族は、25年間でおよそ9万3000人。 北朝鮮で年を重ねた日本人妻。 北朝鮮で暮らしていた井手多喜子さん。 多喜子さんは16歳のとき、職場の同僚だった在日朝鮮人の夫と出会った。

林さんはこれまでもイスラム国に迫害される女性など、届かぬ女性たちの声を主に取材をしてらっしゃいましたけれども、なぜ今回、この北朝鮮の日本人妻というテーマに取り組もうと思われたんですか?初めて現地に行ったのは、2013年に、NGO団体に同行して現地に行ったのがきっかけだったんですが、それからことしの6月まで10回、現地を訪れて、各地で取材をしてきました。

娘の喜美子さんは8歳まで日本で育ったんですが、現地に、朝鮮に渡ってからも、日本語と朝鮮語を家庭の中では、交えて会話をしていたそうで、多喜子さんは娘の喜美子さんのことを呼ぶときに、日本名で喜美子と呼んでいて、喜美子さんもお母さんのことを呼ぶときは、最後、亡くなる直前までずっとお母さんと、日本語で呼んでいたそうです。 本田選手はきょう、カンボジアサッカー連盟の記者会見で、カンボジア代表の実質的な監督に就任したことを発表しました。