さて、おととい突然の現役引退を 表明しました、吉田沙保里選手ですが、まもなく午後2時から会見を開き ます。 浜口さんはずっとオリンピッ クも共に同じ部屋で生活をし、共に戦って、共にメダルをとった仲、本当、特 別な仲なんで、浜口さんにとってもきょうの会見というのは、非常 に意味のある会見だと思いますが、このあと午後2時から会見。 やはりオリンピックの1度目、 2度目、3度目と、4度目と、数が重なるにつれて、プレッシャーというのはどんどん どんどん、肩に乗っかってきたと思います。
吉田沙保里さんは解説者として、放送席からご覧になっていたと思 いますが、目の前で、伊調馨選手が優勝をして、東京オリンピックのことに対して 口にされました。
ただ、見事にはねのけて、3連覇をされて、やっぱり吉田は強かったなという、そんなロンドンオリンピックでご ざいました。 強いですし、やっぱり女性としての幸せってい うのは絶対につかみたいなというふうに思ってますので、夢といったら、そういうふうになるかもしれない ですけど、来年の東京オリンピックがもちろんありますので、そこ でやっぱり自国開催ということで、盛り上げていけたらいいなという 思いも強いです。
谷亮子選手に憧れて、私も中1、中2ぐらいからオリンピックに出 て、金メダルをとりたいという夢を持 つようになりまして、そこからずっとオリンピック、まだ正式種目にもなっていないの にオリンピックに出たいという思いを持ってまして、私が大学ちょ うど1年生になったころですかね、春ぐらいにアテネオリンピック、 2004年のアテネオリンピックから正式採用、女子レスリング正 式採用ということで決まりまして、出るために必死になっていました。
でも、最後のやっぱりリオのオリ ンピック、一番近いというのもあると思うん ですけれども、負けた試合でも、本当に負けた人の気持ちがよく分 かった大会になりまして、今まで世界V16、リオの前までは世界V16で、一 番高い表彰台に上っていて、あー、やったー、勝ててよかったっていうふうにう れしいという気持ちしかなかったところが、このリオのオリンピックで初めて 2番目の表彰台に上ったときに、あっ、負けた人ってこういう気持ちだっ たんだなっていうことを、私は感じましたし、こうやって戦う仲間がいたから今 まで頑張って
18年間、三重県で、故郷に帰るとたくさんの方が声を かけてくれて、よく頑張ったねというふうに、本当にみんなが親戚のような感じ で接してくれるので、そこは本当に私はうれしく思って いました。 では次は、一番後方の席の男性の、リオで最後悔し涙を流した、あの戦いのレスリングのマット。 今の女子レスリング界があるのは、吉田沙保里選手のおかげだと、僕 は取材しながら、今まで共に頑張ってきた仲間が、昨年のああいう状況になってしま ったことは、本当にショックでした。
改めて、これまで多くの結果を残してきた 中で、ご自身が考える吉田沙保里という 選手の強さ、強みというのはなんだったか、それと常に周囲から評価されるそ の内容と、ご自身の思いに、一致しない部分とか、違いがあったのかということをお 聞かせください。 もう一つ、なんでしたっけ?選手生活の中で、周囲からの評価と、ご自身の思い、強いと思ってる思いに違いがあっ たのかどうか。
オリンピックの正式種目になって いないときから、いつか絶対種目になるんだという ふうにお父さんといっしょに頑張ってこられましたが、それでずっ と続けてこられましたけれども、何度も泣くこともあったり、涙を流すこともあったり、辞めたいと思ったこともあったと 思いますが、これからは何に勝ち続けて、何に負けないようにして進んでい くことになりますか。
吉田さんはロンドン五輪で旗手、リオで選手団の主将と、オリンピックの顔としても活躍さ れてきましたけれども、4度出たオリンピックは、ご自身にとってどういうものでし たか。 夢の舞台であるオリンピック に4度も出場することができて、その4回の中でいろんなことを得 ることができましたし、いろんな人と出会うことができて、オリンピックで活躍することがで きたから今の私があるのかなというふうに思います。 吉田沙保里を応援してくださった 国民の皆さん、ファンの皆さん、本当にありがと うございました。
最新のニュースを挟みまして、吉田沙保里選手の引退会見をご覧 いただきました、吉田沙保里選手の会見が終わ ったんですが、なぜかお母さんとお兄さんが今、 会見やってらっしゃるってことで、予定にあったんでしょうか、ちょ っとご覧いただきましょう。 長距離はどうも苦手で、でもちっちゃいときはすごく速か ったんですけどね、短距離走は私好きなんだけど、長距離になるともう一番どべなの よね、特に新潟の十日町走ると、もうひ いひい言うて、重量級より遅いっていうふうな話 をしてましたが。
本当に3歳のときは私の足元 でころころころころやってる、タックルを始めて、33年間だったんですけど、すごく長いようで短い感じで、あっという間に過ぎていったとい うか、でもその間にオリンピック、世界 選手権とか、いろいろな場所に連れていってく れて、本当に親孝行な娘だと思いぱっと頭に浮かんでくるとい いますと、やっぱり沙保里がいなければ、私もレスリングをやってたんです けれども、レスリングをやっててよかったな と思えなかったかもしれないですけど、沙保里がいることによって、 沙保里が頑張ってくれることによって
お母さんのことばから出てき たのは、リオオリンピックで負けた悔しさ というよりも、東京オリンピックで金メダルとっ て、日本の方々に恩返しするって、そういうニュアンスに聞こえまし たね。
改めて同じレスリングをやられた お仲間として、年齢が上なんですけども、さおち ゃんの動きとかテクニック、いろいろ学ぶんですけど、レスリ ングのタックル、タイミングよくタックルされる回 数が桁違い、もうぱんぱんぱんぱん試合形式の 練習のときに、タックルを何度も決めているんですね。 だから、いえば練習はもちろんですけども、 オリンピック3連覇、世界中の選手が対吉田対策をして きてのその3連覇と、リオの銀メダリストですから、そのタックルたるや想像を超える タックルなんでしょうね。
これはまず、ロンドンオリンピックのときは0 時過ぎるまで、それぞれの次の日の対戦相手の映 像を見ながら研究して、それで一通り終わりましたら、一緒にあした頑張ろうねって誓い 合って、霊長類最強女子といわれているけ ど、実は1人不安と戦っていた。 最重量級で戦うため、自分に課した食事量は必ず食べき る浜口選手の姿を見習って、合宿では常に浜口選手と食事をす るように。
人気紀行番組、兼高かおる世界の旅の案内役で親 しまれた、旅行ジャーナリスト、兼高かおるさんが、心不全のため亡くなりました。 企画、取材はもちろん、ディレクターにリポーターにナレ ーターまで、すべて1人でこなし、1年の半分を海外取材に費やして いたという兼高さん。 番組終了後も、精力的に講演や執筆活動を続けて いたという兼高さん。 女学校時代の後輩の黒柳徹子 さんがコメントを出されております。
一部週刊誌が、友井さんの女性関係を巡るトラブ ルを報じ、悲願の紅白歌合戦に出場した純烈 に、今、一体何が起こっているのか。 紅白歌合戦に出たいっていう のは、言霊じゃないですけど、言い続け て、本当に出れるようになりたいです よね。 そして去年、悲願の紅白歌合戦に初出場を果た したのです。 紅白出場の喜びを体で表現し たメンバーの友井雄亮さん。 一部週刊誌が報じた友井さんの女 性問題。 女性問題について、すでに解決したとつづった友井さ ん。
事務所もかなり対応が二転三転し まして、事務所が解決していないと判断し ているのか、このあたりもちょっと分からない ですよね。 高橋さん、あしたもしかしたらその会見って いうことなんですけど、ですから過去のいわゆるトラブル なのか、今もそのトラブルを引きずってい るのか、これが一つポイントになりそうですよね。 青森のむつ市で、今月の7日に撮影された映像なん ですけれどもね、雪、総額1000万円、新春お年玉プレゼント。 200万円、総額差し上げますんで、お電話番号こちらです。