吉田羊、プラハ・ウィーンへ…ヨーロッパに嫁いだ なでしこ物語

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この番組のまとめ

およそ120年前 激動のヨーロッパに生きた東京の町娘が ヨーロッパの貴族社会へ日本人と西洋人貴族初の 国際結婚とされた 奇跡の…しかし…ハインリッヒ! ハインリッヒ!それは 一生忘れることのできない恐ろしく 悲しい瞬間でした突然の夫との別れ莫大な遺産を巡る 親族との相続争い忍び寄る戦争そして 中央ヨーロッパを 縦断する鉄道で向かうのは芸術の都・ウィーン東京の下町から 貴族社会の中心へ激動のヨーロッパを生き抜いた 大和撫子クーデンホーフ光子の 波乱万丈の生涯に迫ります皆さん こんにちは。

ここは かつて ロンスペルクと呼ばれたクーデンホーフ家の領地でした1896年 光子は 日本人女性として初めてこの地に足を踏み入れたのです光子さんが初めて到着した街 ロンスペルク。 森の向こうに どっしりと佇む ロンスペルク城120年前 光子が嫁いだ クーデンホーフ家の お城ですThank you for today. よろしくお願いしま~す。

ホーフブルク王宮を横目に 街を巡ります創業当時から 一度も改装されていない店内古き良き時代の雰囲気を 今に伝えますメランジェは 砂糖を入れて 甘く飲むのがウィーン流カフェで集って ウィーンではカフェで一体みんな何をしてるんですか?当時 光子が暮らした家が今もウィーン郊外に 残っています子ども達と 週末を過ごした家光子が長男・ヨハネス 次男・リヒャルト三男・ゲロルフを転入させた学校 テレジアヌム優れた人材を育てた 教育機関です光子の子ども達が 通っていた頃の図書室が今も当時の姿のまま 残されていました現在も

ウィーンでの生活は 順調かに見えましたしかし 時代が光子の運命を 翻弄していくのです光子は 祖国 日本を 敵に回すことになるのです戦時中の光子の様子をホルショフスキー・ティーン城の ヤンさんが話してくれました戦後 ヨーロッパの混乱を見た 光子の次男・リヒャルトは民族紛争がきっかけで起こった 第一次世界大戦の反省から「パン・ヨーロッパ主義」を提唱これは 民族の垣根を超えて ヨーロッパを1つの共同体と考える現在のEUの礎とも言える 画期的な思想で光子の施した教育が実を結びリヒャルトは ノーベル平和賞候補に何度