きょうは私、日本テレビのnews every.のスタジオにいます。 そして、newszeroのスタジオは有働さんです。 あの日2時46分、私、用事で名古屋のデパートで迎えたんですけれども、被災地から遠いので、本当テレビを見て驚いて、どうしたらいいんだっていう、ただただ焦りだけがありました。 震災から10年にあたって、news zeroではビッグデータを分析しました。 そして真相報道バンキシャ!のスタジオには、福澤さんと夏目さんです。
当時、お伝えした大家族の今を取材しました。 避難指示が解除されたのは、原発事故から4年半後。 取材当時は町に戻ったばかりでした。 楢葉町は原発事故後、4年半にわたり、住民全員が避難を余儀なくされました。 また、町のところどころに線量計があり、いつでも数値を見られることが、安心材料にもなっています。
いうのは、やっぱ、なかなかね、難しい面があると思いますけれども、中継ですが、福島・富岡町ですが、こちらが、あのサッカー少年から、本当にカリスマ理容師になった草野君、おー、草野君。
それが福島第一原発で発生する処理水です。 改めまして、東日本大震災から10年、どうする処理水問題ということで、福島第一原発処理水の現状なんですが。 それをですね、まずセシウムって聞きますが、セシウムの吸着装置にかけて、浄化して、淡水化して、淡水化して、よく聞く、つまり汚染水からいろいろなものを取り除いて、一つまず、安全だといわれる処理水にしていくという過程があるわけですね。
例えばトリチウムは水1リットル当たり1ベクレル程度存在してますんで、例えば体重60キロの人の場合は、もう50ベクレル程度トリチウム、体内にあるんですよ。 トリチウム水としては飲んでもほかの放射性物質に比べて速やかに広島大学の原爆放射線医科学研究所の保田教授によりますと、トリチウム水は水とほぼ同じ動きをするため、海洋放出してもすぐに拡散し、魚介類に濃縮されることもない。
同じころ、津波により壊滅状態となった日和大橋付近でも住民が映像を撮影していました。 宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園です。 こちらの公園には、地震や津波な津波が防潮堤を越えて町を襲った岩手県宮古市の田老地区です。 当時学校で卒業式の練習をしていた生徒たちは、津波が来る前に高台に避難し、全員無事でした。
このトリチウムっていうのは、実は自然界にもあって、これを政府、国としては海洋放出しようと、専門家の先生も海洋放出してもすぐに拡散して、魚介類に濃縮されることもないし、健康被害もないというふうにおっしゃっている、世界の原発も流してる。
newszeroではこの震災10年を国内8000万人のユーザーがいるヤフーの検索ビッグデータから見ていきます。 そこで、震災直後の1週間に皆さん何を食べたのか、このレシピということばと一緒に被災3県で検索されたワード、これをランキングにしました。 小麦粉?実際に被災地で小麦粉を使って料理をした方を取材しました。 えーっ、小麦粉で料理されてなんか卵のないイカ焼きというか、なんかこう、それを練ったもの。
あったかい、一度小麦粉は火を通したほうがよいとされていますの防災食の専門家の方は、小麦粉は調理方法も多くて、自宅の具材をまとめて食べることもできるので、検索数も多かったのではないかと分析していました。 これ、離れた場所から撮影ができるというわけなんですけれども、10年前、このカメラは福島第一原発から17キロ離れた内陸の山の中に設置されていたんですね。 10年前っていいますと、アナログカメラからデジタルカメラに切り替えの時期だったでしょ。
こうした最新技術を使った解析で明らかになったのは、大きな爆発の直前、建屋に起きたある変化。 日本テレビは最新技術で映像の解析を行いました。 日本テレビは最新技術で解析した映像を提供。 解析前の映像では、建屋の上からの炎が爆発の始まりだと考えられていました。 今までは水素は軽いので、建屋の一番上、5階にたまり、そこで水素爆発が起きたと誰もが考えていました。 日本テレビが新たな技術で映像を解析したことで分かった新事実でそれは現地調査でも裏付けられました。
さらにわれわれは、この映像は、制御不能となった福島第一原発の現場に残り、命懸けの作業を続けた地元出身の作業員たちの姿を描いた映画で、去年公開されました。 その後、検証チームが導き出したのは原子炉建屋内の可燃性ガス。 先月、カメラは福島第一原発の構内に入りました。 供給源は格納容器内からだと思いますんで、そうすると、ケーブル被覆部、塗料、水素と共に格納容器の外に漏れ出たのではないか。 国が検証を続ける一方で、事故の当事者である東京電力は、ここまで詳細な検証を行っていません。
こちらは、福島第一原発3号機の爆発の瞬間を捉えた福島中央テレビの映像でその映像を日本テレビが最新の技術で解析しました。 そしてこちらは、東京電力が再稼働しようとしている新潟県の柏崎刈羽原発です。 つまり規制基準を柔軟に変えて、すでに運転を再開している原発についても、改めてさかのぼってチェックをし直す、そしてその基準を満たさなければ、原子力規制委員会は審査を通過した原発についても、強制的に運転を止めることもできるという強い決まりなんですね。
東京電力によりますと、この地震以降、福島第一原発の1号機と3号機の格納容器の水位が数十センチ低下が起きたんでしょうか。 その一つの物理的な問題と池上さん、やっぱり人のお気持ちとか、心、人生というところの復興って一体なんなのかっていうのは、阪神・淡路大震災を振り返ってもまだ復興半ば。
これ、考えてみると、日本全体が少子高齢化が進んでますでしょ、もう日本全国各地で高齢化が進んで、若い人が出ちゃって戻ってこないっていう状況が続いているわけですよね。 いってみれば、東北地方は東日本大震災をきっかけに、日本のいろんな所で起きる課題が10年早く来てしまったんだと、こう考えることもできると思うんですね。 そうしますと本当に、東北の復興を考えることは、結局は日本全体の衰退をどうやって抑えるかという、そういう課題につながってくると思いますね。
マグロ漁師の佐々木照一さんでした。 佐々木さんですか?どうも、どうも、藤井キャスター。 健康だけはね、今回、私は震災直後に出会った3人の方々と再会しましたが、有働さん、漁師の佐々木さんについては、実は私もスタッフもずっと探し続けていて、生きていらっしゃるのかどうか、心配してたんですね。 なんか、藤井さんって本当、藤井さんの涙見たことがない気がするんですけど、涙見せない藤井さんが、佐々木さんとの話で、ああいうふうに涙あふれてきたのは、どういう思いだったんですか?まず、生きていらしたことに本当に安心しました。
震災直後の避難所では、最初はおにぎり、そして豚汁など、のかを分析しました。 もとに、避難所でも自宅でも飽きがこない防災食、いろいろ出ています。 フィギュアスケート、羽生結弦選手も、自宅がある仙台市で被災しました。 その後、冬のオリンピックで2連覇を達成した羽生選手。 10年前のあの日、羽生結弦選手は宮城県仙台市で地震に遭いました。 羽生選手が撮影した避難所の写真。 それでも、当時すでに将来を期待されていた羽生選手は、仙台を離れ、別の場所で練習を再開することができました。 その幸運が羽生選手を苦しめました。
羽生選手が津波の被災地を訪ねたのは、震災後初めてのこと。 原発事故で、楢葉町から避難していた人々。 そして2018年のピョンチャンオリンピック。 3年前に避難先の仮設住宅で出会った楢葉町の人々は、ふるさとにく、日本全国へ。 日本全体が地元みたいな感じで活動したいなっていう気持ちにもなってますし。 羽生選手はきょう、コメントを発表しました。 羽生選手は、被災地に何度も足を運んで皆さんと接することで、自分にしかできないことが見つかったんじゃないでしょうか。
カーボンニュートラルということは、つまり二酸化炭素の排出量を実質ゼロにしようという政府の方針な電力には再生可能エネルギー、それから火力、原子力などがあります。 日本の電力というのは、何から作られているかといいますと、6.2%が原子力、再生可能エネルギーが18%、世界共通の課題だと思いますけれども、各国はどういうスタンスで取り組んでるんですか?再生可能エネルギーを最大限に導入したいというのは、いずれの国も同じ思いを持っているわけですね。
民放とNHKが震災の記憶を共に伝えていく6局防災プロジェクトで、今回、NHK時代の映像を使わせてもらいました。 NHK時代から、多くの被災地を取材してきた有働キャスター。 震災から2週間後の宮城県石巻市、ボランティアに参加した有働キャスターが出会ったのは。 ボランティアを依頼した藤井孝明さんです。 このあと、藤井さんが語ったことばが、有働キャスターの記憶に残るひと言でした。 えー!うわー、今見えてます、かわいい!有働キャスターの取材後に結婚。 震災から3年後、有働キャスターは被災地の高校生も見つめました。
当時高校3年生の田畑祐梨さん。 祐梨さんが住む宮城県南三陸町は、津波によって中心街のほとんどが被害を受けました。 毎年3月11日とか考えていたんですけど、やっぱり自分自身、忘れてしまうのはよくないし、先生のことまで忘れてしまうのは、通っていた塾の先生であり、私の同級生のお母さんだった先生が亡くなってしまったっていうのを聞いて。
ここからは、国内で感染が広がっている変異ウイルスについて、国際医療福祉大学成田病院感染制御部部長の松本哲哉先生とお話を伺ってまいります。 松本先生、この変異ウイルスの感染状況についてですが、どのようにご覧になっていますか?基本的には陽性になった方の大体1割弱ぐらいの人たちが対象になっておりますので、単純計算でいえばですね、というふうに思います。
松本先生、まずこの致死率についてですが、しかもかなり密に、正確に数字を表していますので、そういう意味では、残念ながらこのイギリス型の変異ウイルスに関しては、なるほど、となりますと、この変異ウイルスへのワクチンの効果というのが気になるところですが、初期の段階では効果があるというふうに分析されていますが、先生はどのように見ていますか。
東日本大震災から10年。 明者を出した岩手県釜石市。 海に向かって左側の高台では、テレビ岩手の柳田慎也カメラマンが取材を続けていました。 震度何なんですか?以前取材した、顔見知りの小学生たち。 そのときの印象を、柳田カメラマンはこう話します。 全体的にまだ落ち着いた様子で、そうだったので、地震の揺れについて、インタビューしたりしてい岩手県釜石市。 地震発生後、海面がみるみる下がっていきます。 あー!越える!地震発生からおよそ36分後。 一方、柳田カメラマンがいる高台の前にも、津波が押し寄せました。
津波が来ることというのは、こちらに住んでるうえで、ある程度は、なんとなくの知識はありましたけど、まさか初めて目にする津波というのが、これほどの破壊力を持ったものっていうのが。 釜石湾では、その後も繰り返し津波が押し寄せ、この日だけで、7回発生しました。 菊池真智子さんは地震が起き津波に巻き込まれたのです。 大地震によって引き起こされた津波は、宮城県にも襲いかかりました。 仙台市宮城野区と隣の多賀城市では、市街地に襲いかかる津波を、5台のカメラが撮影していました。
今走ってきた道路を見ると、すでに津波が。 津波の警戒で、道路に交通規制が敷かれています。 警察が大津波警報が到達と警戒して、今、注意を呼びかけています。 一方、マンションに避難した、ミヤギテレビの鎌田カメラマンは。 鎌田カメラマンが最初に捉えたのは、海側から来た津波。 車を降りると後ろからも迫ってい都市部では、建物の間を津波がすり抜けてくるため、気付いたときには囲まれてくるような、低い津波が最初に来るんですね。
家族を助けに行くことだけが、命を守る行動ではないということを、あの日、多くの皆さんが知り変異ウイルスによる感染者の確認が、全国で相次いでいます。 さらに、今後警戒が必要なのは、拡大し始めている変異ウイルスです。 本日は沖縄県内において、新型コロナウイルス変異株が初めて確認されましたので、ご報告いたします。 きょう新たに沖縄県でも8人確認されていたことが判明し、これで半分以上の都道府県で確認されたことになります。
日比谷公園にあるソメイヨシノ。 神田川沿いでも、数輪咲いたソメイヨシノが。 信号機がなぎ倒され、現場はけさ、神奈川県川崎市で、2トントラックが横転する事故がありました。 朝の混み合う時間帯に、トラックは信号機をなぎ倒して横転したということです。 トラックは、フロントガラスなどが激しく壊れています。 この事故で、トラックを運転していた39歳の男性が手に軽いけがをしました。 きたトラックですが、右折してきた対向車線の車をよけようとして、あちらの信号機にぶつかったということです。
ニューヨークで直近1週間に報告された、新型コロナウイルスへの新たな感染者のうち、51%が変異ウイルスによる感染だったことが分かりました。 万能食材、小麦粉ゆえの心配も。 買いだめ需要で、小麦粉がまるっきりなくなってしまうというふうな、パニックになってしまうのが。 業務用の小麦粉を専門に扱う卸会社。 ここにあるのが、大体10トン程度の小麦粉が常時在庫があります。 輸入品以外に、国産の小麦粉を取り扱っています。 仮に需給バランスが崩れた場合、そびえたつ大ぶりのエビなど、油と小麦粉は必須なんですよね、やっぱり。
震災から5年後、ついに亘理にあら浜を再建。 宮城県亘理町で人気の町中華、有働さんがリモート取材しました。 まず見せてもらったのは、一番人気、五目焼きそば。 息子夫婦や地域の人たちの支えもあって、震災から4年後に店を復活させました。
おおー、ゴージャス!食べて応援、復活グルメをお取り寄せ。 ジュース?おいしい、おいしい、それ以風評被害で売り上げは7割減。 宮城県石巻市からは、創業大正2年、老舗の味。 これがうちの復活のグルメで店の再開は諦めていたところ。 続いては、宮城県気仙沼市にあるパン工房。 宮城県東松島市の復活グルメ。 食べて応援!被災地の復活グルメ。 しかし、震災の2年後に見事復活。 のりうどんはネットやアンテナショップで販売しています。 次のお取り寄せ復活グルメは、た生キャラメル。
続いては、news zeroのキャスターとして被災地に向き合ってきた、櫻井翔キャスター10年前に取材したボランティア高校生の今を取材すると、櫻井さんが想像もしていなかった思わぬ転身を遂げていました。 震災から2か月後には、床下の泥を取り除くボランティア活動に参加。 震災1か月後に被災地を取材した櫻井キャスター。 被災地に行かなくてもできるボランティアもあります。 例えばさいたまスーパーアリーナ福島県の双葉町から集団避難した方々のため、1日100人程度のボランティアを募集しています。
昨年の8月に、岩手県の釜石復興って聞くと、町がきれいになって、元どおりの生活をしているというか、みたいなイメージなんですけれども、実情見ていくと、人というところが戻っていない地域がやっぱり多くて、なんでなんだろうということを考えると、やっぱり地域の経済が回っていないというのが一つ、要因としてあるのかなというふうに思っていて。 そう考えた久保さんは、学生時代から講演活動などを行い、防災の大切さを伝え続けています。