ニッポンのレジェンド発掘SP香取&直美「さいしょの人はスゴかった!!」

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この番組のまとめ

さまざまな偉業をさいしょに成し遂げた、知られざるレジェンドさん。 香取慎吾・渡辺直美のニッポンのレジェンド発掘スペシャル、さいしょの人はスゴかった!始まりました、さいしょの人はスゴかった!MCの香取慎吾です。 さあ、この方は一体なんのレジェンドさんなのか、VTR見てみましょう。 1992年、当時、原は、自動車部品製造の最大手、日本電装に勤めていた。

コードにも何か目立つ目印を入れてやれば、読み取り機も、すぐ認識するんじゃないか?特徴的なオブジェのおかげで、一目で認識できるビル。 それは、コードの外側に特徴的な目印を配置し、その内側にあるコードを即座に認識させるということ。 そのため、一目で分かり、なおかつほかとはかぶらない、唯一無二のデザインを作りだす必要があった。 原は、あらゆる文字の比率を解析し、その比率とかぶらないデザインを洗い出した。 そう、三並義忠は、自動炊飯器を作った、さいしょの人なのだ。

義忠は、妻、風美子と6人の子どもを抱えていた。 だったら、自動式の電気釜、作れますか?自動式の電気釜?当時、自動で米を炊く電気釜は技術的に難しく、一流メーカーが軒並み開発に失敗していた。 風美子は、1日に10時間以上、20回も米を炊き、温度を記録。 高温になると曲がる、その性質を生かし、釜の温度が上がると、電源が切れるスイッチを開発したのだ。 大丈夫か?風美子が脳いっ血で倒れた。 実験ノートなんていうのがあったんですけど、記録取ってる時間がね、真夜中なんですよ。 風美子は実験をやめなかった。

そして1955年、東芝から世界初の自動炊飯器が発売された。 食べることあります?その道のプロが崇拝!あの業界のレジェンドさん。 このコーナーでは、ある業界において、めちゃくちゃ崇拝されているレジェンドさんを、その道のプロたちが紹介してくれます。 古坂大魔王さんでございます。 音楽プロデューサーとして、あのピコ太郎を生んだ古坂大魔王がプレゼンするのは、音響業界のレジェンドさん。 というわけで、この大野さんは、日本初のばん、連続テレビアニメ、鉄腕アトムの音を作った人と。

このあとも、業界のレジェンドさんが続々登場。 さらに、香取慎吾が、未来のレジェンドさんを直撃します。 ♪~抗菌フィルムは菌が付くたびに徐々に効果が薄れていくそこで研究員の中澤隆浩はフィルム表面の抗菌力を修復して菌にもウイルスにも効果が長期間持続するそれでは続いてのレジェンドさんは、こちらの方です。 こちらの方は、現在進行形で偉業を成し遂げようとしている、この先、レジェンドになるかもしれないという、ネクストレジェンドさんの玉城絵美さんでございます。

玉城さんは東京大学大学院生だった2010年、電気刺激だけで他人の手を自由自在に動かせる装置、ポゼストハンドを開発。 体験の共有とは、例えば、海辺で気持ちよく走っている人が感じている動きや感覚を、自宅にいながら体験できるようになるといいます。 そう、玉城さんは個人の体験を他者に伝え、共有できるようにする、ボディシェアリングという研究分野を切り開いた、さいしょの人なんです。 動きの連動とともに、ボディシェアリングの実現に欠かせないのが感覚の共有。

私が会ったこともない、世界中の人たちが同じ思いで一緒に走ってるっていうのが、ある意味、おばあちゃんが離れた場所に住む孫をだっこできたり、プロの超絶テクニックが自分の手にインストールできたり、家にいながら宇宙旅行ができる、そんな未来も夢ではないといいます。 ボディシェアリングはいつ完成しますか?私の役割としての完成は、2029年です。 同じようにスポーツ選手がホームランを打ったら、その体験をソーシャルメディア上で公開したら、もう世界中の人が同じ、ホームランを打つ体験をするっていう。

雪予報の原点、ナカヤダイヤグラムというのを作り始めます。 ナカヤダイヤグラム?雪の結晶を作ることに成功したおかげで、中谷さんは、さまざまな形の結晶が作られるときの気象条件を突き止めたのです。 これを相関図にまとめたのが、ナカヤダイヤグラム。

当時、われわれの初任給が9万円程度だったところ、佐田さんは、月15万の報酬プラス得点ボーナスなどで、月200万円の追加報酬があったほど、この香港リーグは盛り上がっていたと。 実際ですね、今現在、佐田繁理さんは、さだ企画の社長さん。 これがいかにすごいことなのか、家庭料理研究家の奥薗さんに聞いてみると。 家庭によって味がばらばらだった料理に、一つの基準を作り、革命を起こした料理レシピだが、さいしょに広めた彼女は、当時では珍しかった女性医師。

分量や調理時間を数字で表すことで、おいしい料理を再現する設計図になる。 みんなのお手本になるものだから、絶対的においしくなければならないと、フレンチ、中華、日本料理など、最高水準の料理人を招いた。 綾は、まず料理開始前に、すべての材料の重さを量った。 こうして栄養バランス、おいしさを兼ね備えた料理レシピが完成。 昭和10年、綾は料理雑誌を創刊し、レシピをその付録につけたのだ。