14歳からおよそ50年間炭坑夫として働いた作兵衛が記録画を描き始めたのは筑豊の中心を流れる遠賀川作兵衛の父親の実家は石炭を運ぶ船の船頭だった鉄道が開通したことにより父親は仕事を失う妻と子ども7人を連れて炭坑夫として働きだした翌年生まれた弟の子守をしたりして小学校にはほとんど通えなかった♪「坑内さがるもおやのばちゴットン」台所を預かるタツノは苦労が絶えなかったというありました。
働いてみたいなと思う人いますか?世界記憶遺産の絵師山本作兵衛が描いたのは明治大正昭和初期の炭鉱社会すべてを正確に記録した作兵衛だがこれらの絵には一つだけうそがあるという坑内の明かりは暗く色はないからだ夫が石炭を掘る「先山」妻が石炭を運ぶ「後山」として夫婦一組で働くことが多かった炭鉱の中で働く女性たち衣類を身にまとうどころではなかった昭和になり女性の坑内労働は禁止されたが実際に筑豊で働いていた女性の歌声作兵衛と親交があった作家の森崎和江さんも坑内で働く女性たちから影響を受けたその聞き書きをまとめた著書「まっ
山本作兵衛が生きた筑豊の炭鉱で逃げ場のない穴の中で常に死と隣り合わせの作業命を守るための装備も細かく記録明治から大正昭和へと変わる坑内の姿経済成長で勢いづく首都・ハノイから車で4時間田園地帯を抜けさらに山を越えた先に国営の「ナムマウ炭鉱」があるベトナムから日本へは製鉄用の良質な石炭が輸出されているここは5,000人が働く巨大炭鉱食事用のパンを持って坑内へ迷路のような暗闇を歩いて降りていくこと1時間こういうことあるからね。