報道特別番組「震災3年・復興と未来~“これから”のために〜」

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この番組のまとめ

渡辺謙さんが被災地の仲間と始めた、新たな挑戦。 震災の発生から3年、被災地の風景や人々はどう変わったのでしょうか。 一見、震災前の状態に戻ったように見えるが…気仙沼漁港のシンボルともいえる気仙沼女子高等学校。 先週、18人が卒業を迎えた気仙沼女子高等学校。 宮城県気仙沼の内湾地区はようやくまちづくりが始まろうとしています。 被災地に何度も通い、寄り添う中、いつしか気仙沼に友人の輪が広がっていきました。 気仙沼で長年愛されてきたジャズ喫茶です。 港町・気仙沼。

K−portの新メニューが完成していました。 謙さんと気仙沼の菓子店がやりとりを重ねた成果です。 今日もKーportは通常どおり営業しています。 本当に気仙沼というのは、見てわかるとおり、それを今から一つずつ、Kーportをすてきな場所にしていって、気仙沼で我慢して暮らしている人たちも、気仙沼の人とか、外から来た人にも本当にこの場所を使い倒していただきたい。

福島県相馬市では犠牲者を悼んで東日本大震災一周年追悼式に出席された天皇陛下。 式壇中央の標柱には、この1年も、両陛下はたびたび被災地を訪れ、被災した皆さんをお見舞いし、励ますとともに、後方支援に当たった関係者にねぎらいの言葉をかけてこられました。 「君が代」斉唱の後、震災発生時刻の午後2時46分に黙とうが捧げられ、安倍総理の式辞に続いて、天皇陛下がお言葉を述べられることになっています。

復旧、復興の前進も地元の方々のご努力、関係機関の尽力はもちろんのこと全国各地から多くの支援に支えられてのものです。 3年前の今日、東日本を襲った巨大地震と、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。 続いては福島の3年、その報告です東京電力福島第一原発の事故以来、福島県では、現在でもおよそ13万人の方が避難生活を強いられています。 そんな中、南相馬市で力強く歌う合唱団がいます。

毎週末のMJCの練習にはバスと電車を乗り継ぎ、往復6時間をかけて通い続けました。 今月2日、福島県南相馬市の合唱団MJCアンサンブルのメンバー22人はいよいよオーストリアへ。 着いたのは、MJCのメンバーもあこがれる世界的な音楽の才能が集まり、栄えました。 オーケストラと声を合わせるMJCのメンバーの顔から緊張感が伝わってきます。 歌い出した瑠名さんは、笑顔でした「第九」に込められているのは、すべての人は幸せになれる、MJCは歌いました。

この町は昭和の三陸大津波など壊滅的な被害を何度も受け、津波太郎とも呼ばれました。 東日本大震災の津波は、津波防災の町を破壊し尽くしました。 もともと人口減少や過疎化が深刻な悩みだった北海道奥尻島。 今見た田老地区に限らず、人口減少、過疎化というのは、被災地域共通の課題ですね?今も被災地では内陸の都市部などに移り住む人が後を絶ちません。

東京電力福島第一原発の廃炉について、国と東電は、40年かかるとしていますが、今、不安視されているのは、作業員たちの問題です。 原発作業員の被ばく線量限度は現場の士気も落ちていると言います。 多重下請構造のため、危険手当が中抜きされ、除染作業より安い賃金で働く原発作業員も多いと言います。 吉川彰浩さん、東京電力の社員として福島第一原発と第二原発で働いてきました。 作業員は、国家的大事故に立ち向かう人と評価して守るべきで、東京電力だけでは限界があると言います。