報道特集「103歳の医師が考える安保法制・BC級戦犯「とかげ」と呼ばれた男

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この番組のまとめ

いずれにしましても、こんな放送が私たちの国で繰り返されてはならない、つまり、戦争する国になってはならないと日本やアメリカが最後のチャンスと位置づけて大筋合意を目指したハワイでの閣僚会合でしたが決着を逃したことでTPPが漂流する可能性も出てきました。 逮捕されたのは、ビットコインの取引所、逮捕前日の昨日、カルプレス容疑者はJNNの取材に対しても容疑を否認していた。

海上保安庁の特殊救難隊がフェリーに乗り込んだが、船内の温度が午前中に苫小牧入りした国の運輸安全委員会の事故調査官は船長や乗組員らから当時の状況を聞くなどして原因究明に向け、調査を進めている森会長は日本時間今日午後、IOC総会で、新国立競技場の建設計画が白紙に戻った経緯を説明し、理解を求めた。 その後の警視庁への取材で、江川容疑者らが、弘子さんが死亡した後、千葉県にある小杉山容疑者の自宅を車で往復し、数時間後に通報していたことが新たにわかった。

どうされますか、注意ぐらいでいいのかな?その後、礒崎氏は自身のツイッターで法的安定性を否定したものではないと書き込むなど、これは3年前に配布された航空自衛隊の部内誌。 訓練の内容は、航空自衛隊のF15戦闘機の編隊がアメリカ軍のB52戦略爆撃機を援護するというもの。 日野原さんは大学卒業後、1941年から聖路加国際病院で働き始めた。 聖路加国際病院はアメリカから来日した宣教医師が創設した、キリスト教精神に基づく病院。

子どものときから平和が大切であるということを知るために10歳の子どもを中心に毎月、日本全国の小学校に行って、そして君たちは人間の命を大切にするためにどうすればよいかということを日野原先生は長い人生を歩まれてきている中で、やはり大切なのは平和、とりわけ憲法だということに改めて気づいたということなんでしょうか?医師である日野原さんがなぜ、憲法について語り続けるのかとよく聞かれるらしいんですけれども、そんなときに日野原さんは、憲法は国民の命を守るものであるんだから、したがって、人の命というものを一番わかっている

戦時中、日本軍の捕虜だったオーストラリア兵の遺族らが毎年、慰霊のため泰緬鉄道を訪れる毎回、学生たち30人ほどが招かれる。 オーストラリアの人々にとって、泰緬鉄道は特別な場所。 泰緬鉄道の歴史は加害者の日本人にとってはあまり触れたくない問題です。 アジア各地で終戦を迎えた捕虜監視員たちはそれぞれ祖国に帰れると思っていた。 捕虜監視員だったリ・カクライさんは、シンガポールで軍事裁判にかけられた。 日本軍という組織の末端で捕虜と日々向かい合った者たちが戦争責任を背負わされた。

一方、リさんはフェアクローさんについてそのときは、実はオーストラリアで逆にフェアクローさんはあまりにも動転して声もかけられないし、握手もできない状態だったって…。 リさんもフェアクローさんも、大変壮絶な経験をした分、彼なりに1つの区切りをつけたわけですけれども、今でも元捕虜の人を前に日本軍の一員として詫び続けるリさんの姿に、リさんの姿に、日本人として非常に複雑な思いになりました。