報道特集「戦争を忘れた東京の70年・ドイツと中国で考える被害と加害」

戻る
【スポンサーリンク】
18:49:53▶

この番組のまとめ

気象庁は火口から3km以内の桜島の鹿児島市有村町、古里町で重大な影響を及ぼす噴火が切迫しているとして噴火警戒レベルの引き上げに伴い鹿児島県と鹿児島市は災害対策本部を設置。 大阪府高槻市の駐車場で顔や手首に粘着テープを巻かれた少女と見られる遺体が見つかった事件で現場周辺に争ったような跡や血痕に広がりがないことから警察は何者かが別の場所で殺害し、放置したと見て捜査している。

注目の1年生スラッガー、早稲田実業の怪物、清宮選手が大観衆の中、豪快なアーチをかけた朝6時40分で既に甲子園は満員御礼。 太平洋戦争開戦の舞台、ハワイ・ホノルル市の真珠湾で日本時間今日午後、新潟県長岡市の戦没者慰霊のための花火、白菊が打ちあげられ、現地は平和への祈りに包まれた。 長岡市は真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官、山本五十六の出身地で2つの市は姉妹都市。

ここには戦時中、東京大空襲で犠牲になったおよそ10万人のうち8万を超える人たちの遺骨が置かれたままになっている。 東京大空襲は、核兵器ではなく攻撃があった当日だけで見れば原爆を超える死者の数だったとアメリカの研究者は言う。 そう訴えるのは、錦糸公園に遺体を埋めた星野弘さん。 70年前、この川も東京大空襲で犠牲になった人たちの遺体で水面が見えないくらいに埋めつくされたと言う。 70年前、この錦糸公園で遺体を穴に投げ込んだ記憶はあまりにも無残過ぎるというふうに思いますけどね。

ただ、金平さん、VTRを見ていて我々はちゃんとこの東京大空襲と向き合ってきたのかなということ私も実は東京都の慰霊堂というのがもともとは関東大震災の被害者の遺骨を納骨するためにつくられたもので、そこに東京大空襲の被害者の遺骨というのがいわば間借りというか、仮住まいのような形で納骨されてるということを実は取材するまで私も知りませんでした。 東京大空襲の犠牲者の遺族たちが抱かざるを得なかった怒りの原点を探りました。

それが遺族をつなぐ言葉になり、犠牲者の氏名を記録する運動が広がった。 その星野さんたちの活動が東京都を動かし、だが、その犠牲者名簿のあり方は、だが、中に入る前に、まず並ぶ場所がある。 占領が終わると、やがて空襲犠牲者の遺族から補償を求める動きが起きた。 これは、名簿のデータをもとに年齢別の犠牲者の数を示したグラフ。 向かって左側、子どもたちの犠牲者が特に多かったことがわかる。 今年そこに犠牲者の名前を刻んだ小さな慰霊碑がつくられた。

自分と同じように肉親の遺骨を捜している人はまだほかにもいるはずだ。 父親から、自分を背負って冷たい川に飛び込んだと聞かされた。 自分1人しか助かっていないのかと思ったらハッとそばを何か、子どもを背負った人が通ったような気がしたんですね。 戦争の記憶がどんどん遠のいて体験する人もいなくなって、最後は10万分の幾つという数字でしかなくなってしまうわけでしょう。 遺族会の働きかけなどによって数年前から職員立ち会いのもと、遺族が中に入ることが認められるようになってきた。

一方でドイツ自身も空襲を行い、ドイツ東部の都市、ドレスデンへの空襲で亡くなった人々の火葬される様子が記録されている。 ここはドレスデンの空襲で破壊された後、ドレスデン空襲のときは13歳だった。 被害者が空襲をありのままに語り継ぐには大きな困難が伴った。 ノラさんたち空襲被害者は立ち上がり、人間の鎖を築いた。 まず、ドイツが他国に対して行った加害を見せた後にドレスデンが空襲で受けた被害が展示される。 空襲被害者のノラさん自身も、加害の歴史を語り継がねばならないと断言する。

実は、来日する重慶の原告団を支援しているのが、重慶の原告団は来日するたび、日本人への印象が変わったと共同代表の粟さんは語る。