ものづくり日本の奇跡日の丸テクノロジーがオリンピックを変えた元気が出る60年物語

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この番組のまとめ

安住「ものづくり日本の奇跡」、今夜のテーマは「オリンピック」です。 安住オリンピックのテレビ中継見てますと、日本人選手の活躍はもちろんそうですけれども、オリンピックにまつわる超貴重な品々、日の丸テクノロジーの数々。 では私はこの辺で、また後で出ますが、チャオ!安住1964年の東京オリンピックがテレビ・オリンピックということで、テレビで随分と放送されるようになった初めての近代オリンピックということのようですね。

あの東京オリンピックで一躍世界にその名をとどろかせたアシックスの前身、オニツカタイガーのシューズを履いた選手たちが実に47個のメダルを獲得したのだ。 そして、戦後の焼け野原から裸一貫、ものづくりにこだわった創業社長、鬼塚喜八郎の大いなる信念があった。 これは、かつて日本のランナーがオリンピックで履いていたもの。 その答えは、鬼塚喜八郎という男の信念にあった。 中でも力を注いだのがマラソンシューズだった。 そもそもマラソンランナーの足になぜマメができると思う?手点いえ。

靴ひもを通す金属製の穴が足に当たらないよう、このマジックランナーを履いて君原選手は東京オリンピックの4年後、メキシコオリンピックでついに銀メダルを獲得した。 それでは年表にオリンピックを変えたマジックランナーを加えることにいたしましょう。 安住それでは続いてのオリンピックに移ることにいたしましょう。 続いては東京オリンピックの8年後へワープ。 そして4年後の1984年、悲願のオリンピック出場を果たした山下は、肉離れを起こしながらも決勝に進出します。

綾瀬バドミントンの常識を覆した、1本のラケット。 バドミントンが公開競技として行われた1988年ソウルオリンピック。 銅メダルを獲得した松浦進二選手を初め世界の一流選手たちがヨネックスのラケットを使用していたと言う。 そのこだわりを、世界一のラケットへとつなげるための日の丸テクノロジーがあったバドミントンのレジャー用木製ラケットの製造を始めた。 レジャー用をあきらめ高い技術力が求められる競技用ラケットに方向転換を決めた。

安住もともと漁師さんの使う網の端につけるようなウキをつくっていた会社だと聞いて、どう思いました、高橋さん?本当ビックリして、本当にラケットが最初なのかなと思ってたんで、めちゃめちゃビックリしました。 ものづくりミュージアムには日の丸テクノロジーが凝縮され、選手とともに進化する木製から最新カーボンまでの貴重なラケットの数々が。 安住この辺は今、高橋選手が現役で使っているようなラケット?全く同じモデル使ってます安住というよりも、これは高橋モデルなんですよね?そうなんです、ヨネックス。

パナソニックの山本耕司さんアトランタから11大会連続で国際映像の技術サポートを担当しているオリンピック映像のスペシャリストだ。 しかし、その開発には様々な壁が…残された当時の設計図にはそこに追いうちをかけたのが平均最高気温30度にも及ぶアトランタの暑さ。 本当に参考になることやるのかなと思ってると思いますがスタジオに超高画質のスローカメラを持ってきましたのでそれを使って実験をしてみましょう。 実際のバドミントンの高橋選手の強烈なスマッシュをスローカメラを使って見てみることにしましょう。

続いてやってきましたのが2004年に行われたアテネオリンピック。 綾瀬さん、オリンピック前に開発されたミサイル、一体何のためのミサイルだと思いますか?開会式は絶対に晴れということで会場に近づく雨雲に向けてミサイルを撃ち込んで、ずっと離れた場所で雨を降らせるという作戦。 そして2012年、ロンドンオリンピック。 実は北京オリンピックを2年後に控えた2006年、小川さんのもとに国際バレーボール連盟からこんな要望が届いた。

1984年のロサンゼルスオリンピック以降、バスケットボールの公式球に選ばれ続けるモルテンもまた、広島の会社。 江戸時代以降、広島の特産品として知られるのがお互いの開発担当者は…安住広島がボールメーカーがたくさん集まっているんですね。 実際にオリンピックでこのハンマーを使いメダルを獲得したレジェンド・室伏広治さんは…世界を驚かせるハンマーを生み出していた。 前回のロンドン大会を初めバルセロナ、アトランタと3度のオリンピックで公式球として採用されてきた。

史上空前のメダルラッシュ獲得した41個のうち、なんと40個の原動力となったのが、ここ、味の素ナショナルトレーニングセンター。 疲労回復を目的とした勝ち飯安住あそこのトレーニングセンターに年間何日くらい行くんですか?試合の前は絶対あそこで合宿してから現地に行くので、ほとんどいますね。 リオデジャネイロでパラリンピックが始まります。 この大会でも多くの日の丸テクノロジーが活躍しています綾瀬いよいよ始まるパラリンピック。 過去パラリンピックで3つの金メダルに輝いた国枝慎吾選手。

大会の翌日、樋口選手はオーエックスを訪れていた。 初代社長の石井重行さんはもともとバイクショップを経営し、レース用のオートバイづくりに明け暮れていた。 さて、最後に次の東京オリンピック2020年まであと4年となりました。 綾瀬さん、これ、実は2020年のオリンピックに向けて準備が始まっているんです。 熱狂のリオオリンピックが終わり、舞台はいよいよ4年後の東京へ。 現在、競技会場づくりや街の再開発が進められる中、オリンピックを支える日の丸テクノロジーも続々と生まれていた。