3・11 7年目の真実

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この番組のまとめ

東日本大震災から7年目を迎える今日、明らかになる真実があります。 東日本大震災が起きた4カ月後、被災地を訪れていました。 東日本大震災の発生から6年がたちました。 被災地全体を見ますと、津波が襲った地域ではかさ上げや高台移転など新しいまちづくりが進んで、地域によるペースの差はあるんですが、復興が進んできているなという実感があります。 大槌町赤浜地区です。 東日本大震災による岩手県内の死者数は関連死を含め5134人、大槌町では854人が亡くなり423人が行方不明のままです。

東日本大震災では、地震からおよそ50分後に近くを流れる北上川から児童74人、教職員10人が犠牲となりました。 大川小をめぐっては、児童の一部の遺族が学校の裏山に教員が児童を適切に避難させていれば助かったとして裁判を起こしました。 私は今、今月31日に一部の避難区域が解除されます福島県浪江町請戸漁港に来ています。 先月25日にはこちらの漁港に原発事故の影響で避難していた漁船が震災後初めて戻ってきました。 福島県では今もなお、7万9226人が県の内外で避難生活を余儀なくされています。

監督の言葉に観客からは…初めまして、名取に住んでるんですけど、あまり普段私はアニメを見ないんですが、ずっと宮城に住んでいて地震とかを経験して、ここに住んでいるからこそ気持ちをちょっとアニメに、自分の気持ちを重ねて見ることができて…。 2011年7月、当時、新進気鋭のクリエイターとして注目されていた新海監督は、舞台挨拶で被災地・宮城を訪れていました。 震災から7年目を前に新海監督は再び閖上を訪れました。 先週、舞台挨拶で宮城県名取市を訪れた新海監督は再びあの閖上を訪れました。

新海監督が映画で問いかけてきた、もし、自分があなただったらという視点が、今後も震災のことを風化させない大きな助けになるような気がしています。 本日ここに文仁親王殿下とともに東日本大震災6周年の追悼式を挙行するに当たり、政府を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます。 かけがえのない多くの命が失われ東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から6年の歳月が流れました。

安倍総理は、被災地に足を運ぶたび復興が新たな段階に入りつつあることを感じる、被災者1人1人の状況に寄りそいながら復興の進展に応じた切れ目のない支援に力を注ぎ、復興を加速していくと述べました。 宮内庁幹部によりますとお二人は片時も忘れずに被災地を、被災者を気にかけていらっしゃるそうです。

福島第一原発沖6km、水深23mでの調査開始。 海の中、色鮮やかでしたけれども、今回の調査で原発事故の影響については何がわかったんでしょうか?今も試験操業が続いていますが環境調査でしたが、調べた範囲では、海中ですとか岩場からほとんど放射性物質は検出されませんでした。 大川小学校では去年12月から震災後、子どもたちを守れなかった教員の遺族として負い目を感じていた佐々木さん。 震災発生の17日後、その後、仙台市にある宮城教育大学に進学し、現在、3年生の佐々木さん。

理科の教諭でもある佐々木監督は岩間さんのリーダーとしての資質を伸ばし、チームの夢だった甲子園出場を現実のものとしました。 チームを1つに導いてくれた佐々木監督の姿に、岩間さんはいつしか自らの将来の夢を震災で母を失うという大きな試練と向き合いながら見ていまして岩間さん、本当にたくましくこの6年、歩んでらしたなと思うんですけど、岩間さんの力の根っこにあるのは何なんでしょうか?岩間さんが通っていた赤浜小学校は深く刻み込まれ、あの負けん気につながっていったのではと感じています。

消防車が入っていけないような狭い道が多く、先月、住民たちが開いた防災対策会議で火災のシミュレーションが上映されました。 首都直下地震が起きたときに、火災と混雑が同時に起きたらどうなるのでしょうか。 東京大学の廣井悠准教授は、地震発生2時間後、帰宅困難者で道路が大渋滞する中、墨田区で火災が発生。 すると…帰宅困難者による道路の混雑と6年前、大混雑した渋谷駅前。 先月、首都直下地震への対策訓練が行われました。