今日のゲストええ~現役時代は大変な強打者として名を馳せていらっしゃいましたが今や「喝!」のおじさんとして名を馳せていらっしゃいます。 野球評論家の張本勲さんにおいでいただいております。 今日のゲストは野球評論家の…。 18歳の時「日本ハムファイターズ」の前身「東映フライヤーズ」に入団。 やった!3000本!やった!やった!日本プロ野球において3000本の大記録を持つのはいまだ張本さんただ一人。
何十回も見に行ってねええしっかりこの選手はいい選手だ巨人に合うというのをピックアップしてくれないと。 評論家っていう立場をええ…除くと個人的に巨人が試合で負けた時ってどういう気分になるもんですか?おもしろくないわね。 いい思いをしましたからね巨人時代は。 おふくろは三日三晩右手を冷やしてくれたそうですよ。 ですから私今でももう人さし指親指中指薬指小指はないからね。 だからハンディキャップって言ったらなんだけども野球とかスポーツやるにはもう大変なあれですよね。
でもその少年時代を過ごしてまあ戦争は無事に終わって中学校の時にね野球を見に行くんですよ。 当時もうステーキ食べてたの?そう!うわ~プロ野球選手になったらあんなお金持ちになるんだってそれが第一の大印象なんですよ。 よ~し俺もプロ野球選手になりたいという。 ですからそれからもう中学校の時相当練習しましたよ。 パナソニック「Jコンセプト」ただいま!見事にプロ野球に入られたのがさっきおっしゃった東映のチームだったんですよね。 自分自身で課題を課したんですよバットの素振りをね。
歴代安打数の記録です。 日本記録ですけどね。 えっ引退の最後のヒットもあのヒットまで必死に打ちに行きましたから。 何十回何百回…今思い出します。 でその王さんとは巨人でその後一緒になられるけれどその前から仲よくしてらっしゃった。 私は駒沢でね多摩川を挟んで多摩川の向こう側に巨人の宿舎があったんですよ。 じゃあある意味ではもう永遠のライバルであり親友でありっていう関係がずっと続いた。 で東映から始まってチームで日ハムにいらしてまあ前身もあるけれどもやっぱり巨人に行かれたっていうときはちょっと特別な思いが…。
そうするとね私の後援会長がねある人のところへ挨拶に行けというんですよ。 「東日貿易」の久保さんといいましてね長嶋監督の個人的な後援会長なんですよ。 子供の頃から好きですから」「巨人は好きなんだな?」「ああ~そりゃあもうできればまあ生まれて一回ぐらいは巨人でプレーしたいと思いますよ」って言ったら「ああこれで決まった」と言うんですよ。 「おい茂雄ちゃん」って言ったらドアから長嶋監督が出てきたの。 お前東京やし巨人好きやったやないか。 でも結構長嶋監督は厳しい監督だったって。
でそのあとの言葉がね「お前が将来指導者になったらこの気持ちは分かるはずだ」って言われた時はねこの人は純粋な…野球に対して。 へえ~!まあそのいつも張本さんが「サンデーモーニング」でおっしゃっている日本の選手が徐々に成績よくなってまあスターになりかけるとメジャーに行くっていうのが当たり前のようになってる。 アメリカの野球と日本の野球はどっちが大事かっていうとやっぱり日本の野球が大事じゃないですか。 あははっ!でも長嶋監督もおっしゃってましたよもしその時代があったら僕はメジャー行きたかったって。