報道特集「知事の急逝と沖縄の未来・サハリンの語り部を目指す青年」

戻る
【スポンサーリンク】
18:15:39▶

この番組のまとめ

警察によると森容疑者らは今月9日から11日午前までの間に、兵庫県加古川市の権現ダムに大阪市淀川区の小西優香さんの遺体を遺棄した疑いが持たれている。 大阪の富田林警察署から容疑者の男が逃走した事件で、男が弁護士に接見終了は自分で伝えるという趣旨の話をしていたことがわかった。 指名手配されている樋田淳也容疑者は今月12日夜、富田林警察署の面会室で弁護士との接見を終えて1人になったときに、仕切っているアクリル板を蹴破って逃げたと見られている。

インドネシアの首都、ジャカルタでは今夜、アジア大会の開会式が行われる。 開会式では韓国と北朝鮮の南北合同チームが同じ旗のもと一緒に行進することになっている。 インドネシア政府が積極的に招待していたのが韓国のムン・ジェイン大統領と北朝鮮のキム・ジョンウン党委員長今年4月のパンムンジョム宣言にはアジア大会への南北合同での参加を明記。 先月、ピョンヤンで南北のバスケチームが結局、両首脳は大会には来ないが、韓国と北朝鮮は開会式を前に一足先に始まった女子バスケットボールで合同チームを結成。

警察によると昨日午前、アメリカのシカゴから成田空港に向かう航空機の中で寝ていた会社役員の男性が異変を感じて目を覚ましたところ、自称・エンジニアのデニシュ・キショルチャンドラ・プラーク容疑者が放尿していたとのこと。 辺野古への新基地建設問題を巡って袂を分かった仲井真弘多前沖縄県知事の姿もあった。 警備員は初めフェンスの前の2人だけだったが、取材中、さらに2人増え、翁長知事は、最後となった会見で土砂の投入が3週間後にも予定される中、埋め立て承認撤回の手続きに入ったことを明らかにした。

宜野湾市長を2期7年務めた佐喜真氏は、在任中、たびたび総理官邸を訪れ、安倍総理や菅官房長官と面会、普天間飛行場の移転を訴えてきた。 4年前の知事選で翁長知事誕生の原動力となったオール沖縄だが、辺野古移設の是非を問う県民投票などへのスタンスの違いが表面化。 オール沖縄側は候補者の条件として翁長知事の遺志を引き継ぐこと、本当に政治一筋できた翁長雄志さんを私は見てきましたし、彼の様々な沖縄に対する思いの言葉、イデオロギーよりアイデンティティーと、まさにそのとおりで。

今はタッチ1回で日本とつながるが、サハリンに残った日本人は、戦後40年以上、祖国と断絶されたままだった。 この日、小木戸さんはサハリン残留日本人の聞き取りに出かけた。 サハリンは1905年から終戦まで南半分を日本が領有し、40万人の日本人が暮らしていた。 同じ事情で多くの女性がサハリンに残らざるを得なくなったが、日本政府は長い間、その存在を認めていなかった。 小木戸さんがサハリンの語り部を目指すようになったきっかけはドラマの共演者を通じて、ある女性と出会ったことだった。

あまり知られていないが、サハリンでは終戦の日の8月15日以降も地上戦がおよそ1週間続き、レストランで1人の女性が小木戸さんを待っていてくれた。 サハリンにいる日本人のうち、北緯50度線、かつての国境線。 戦後、サハリンから日本に引き揚げた母の兄からだった。 これまで何度も日本のメディアの取材を受けてきたサハリンの語り部、松崎節子さん。

それがサハリンの日本人のことを知るうちに、戦後祖国に見捨てられながら必死で生きてきた人たちの物語、こんなにいっぱいあるのに、なんでこんなに知られていないんだろうと感じて、それで自分がサハリンの語り部になろうと思い立ったそうです。 次世代の語り部をどう育てていくのか、それから、活躍の場をどうやってつくっていってあげたらいいのかは手探りの状態で、小木戸さんのサハリン行きも自前でしたし、築地本願寺で語り部デビューするときのは、企画書を自分で書いて、自分で歩き回ってようやく手にしたチャンスだったんですね。