激動の平成を天皇・皇后両陛下の歩みとおことばで振り返っていきます。 長年、宮内庁で天皇・皇后両陛下の侍従長を務められました渡邉允さん。 天皇陛下が宮中三殿を参拝され宮中三殿、中央にあるのが賢所、そして皇霊殿、神殿、この宮中三殿でそれぞれ天皇陛下が退位の報告をされました。
先月から今月にかけては、退位に向けた一連の儀式として、初代天皇とされる神武天皇の陵や天照大御神を祭る伊勢神宮、昭和天皇の陵へも参拝されました。 関係者によりますと、両陛下は今朝いつもどおり6時頃に起床し日課の散策は雨のため、庭ではなく、お住まいの御所の室内でされたということです。 そこには、覚悟と苦悩がありました今月13日、両陛下は思い出の地を訪れました。 互いを支え合いながら象徴天皇のあるべき姿を模索し、歩まれたその道のりには、両陛下の覚悟、そして知られざる苦悩がありました。
おことばの中にもありましたが、1つ1つが平成流で天皇・皇后両陛下お二人で手を携えて支え合って歩んでこられた30年なんだろうなと感じますが、末盛さんはお二人の姿、どう感じていらっしゃいますか?最後の辺りのおことばのときですね、皇后さまのことをお話しなさるときに本当に心からそう思っていらっしゃるんだなという感じがかなり行事が立て込んでいらっしゃるじゃないですか。
陛下は東京パラリンピックの終了後にこうした大会を国内で毎年行ってほしいと話されまして翌年から全国障害者スポーツ大会というのが毎年国体の後に現在まで開かれるようになったということなんです。 1964年の東京オリンピック・パラリンピックから来年行われる2020東京オリンピック・パラリンピックにその重い扉が開かれたのがこのときと。
結局、日本の外でということだけじゃなくてサイパンの場合、パラオの場合もそうだったと思いますがそこで日米の戦争があったわけですからアメリカの軍人も亡くなって慰霊碑がある、慰霊のためにずっと回られたということですから、この戦争につながる、あらゆる人の霊を慰めたいとそうすることによって、私はフィリピンのカリヤラの慰霊、そのときにフィリピン地上戦で多くの人が亡くなられたところの慰霊碑も行きましたけれども、そうやって行くことによって日本人全体が、報道がありますから、あっ、こういうところでこういうことがあったんだとい
それから32年後の平成3年、平成流と言われる被災地訪問の始まりでした。 両陛下は強行スケジュールもいとわず宮城、岩手、福島など、7週連続で被災者のもとを訪れます。 天皇・皇后両陛下の被災地に対するお気持ち、1つは、なるべく早く災害の起こった場所に行って被災者の人たちに会いたいというお気持ちは非常に強いんですよね。
私がたまたま震災の1年ほど前に東京を引き払って岩手に引っ越しておりましたので、震災の地元である岩手に住んでいるのに何もしないわけにはいかない、何もしなかったら友達甲斐のないやつだと思われるという思いもありましたし、できることをしようって思いまして、そうしたら長い間、斜めから見ていたような息子たちに「それ、絵本だろ、母さん」と言われて、そして絵本を送ってくださいということを全国に、あるいは世界中にと言うべきかもしれませんが、こういうときに日本中の人がみんな絵本が大切だと思うんだという感動もありましたしね。
郵便局には平成最後の消印を求めて山形県高畠町では、子どもの足形や手形を新しい時代にボタンの発展を願い3万輪の花じゅうたんが訪れる人を魅了しています。 平成最後の日、海外からは…アメリカ・トランプ大統領は天皇陛下の退位に当たり、伊勢神宮内宮の参道に来ています。 そしてここ内宮には天皇家の祖先神とされる天照大御神がまつられていて天皇・皇后両陛下も今月18日に参拝されました。