報道特集「原爆の記憶をどう伝えるのか・裁判所に挑む“伝説”の元裁判官」

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この番組のまとめ

国を挙げて日本に対抗する姿勢を鮮明にしている韓国政府は今朝…韓国に対する2度目の報復だとした上で日韓関係や日米韓3カ国の安保協力に亀裂を生む措置だと非難した。 ソン・ユンモ産業通商資源相は日本による輸出管理強化に対する韓国政府の支援策の伝達や民間企業からの相談を受けるためなどに官民合同で設立された機関を視察。 各地の最高気温は、福岡県久留米市で38.4度、京都市で38.2度、栃木県佐野市で37.8度を観測するなど、北海道と沖縄を除く九州から東北にかけての広い範囲で35度を超える猛暑日となった。

一方、発射実験についてアメリカのトランプ大統領はツイッターで国連決議違反かもしれないが、キム党委員長が私を失望させたいとは思っていないとして、問題視しない考えを示した。 高校生たちは、それぞれのブースに分かれて東京・池袋で乗用車が暴走し、12人が死傷した事故で亡くなった親子の遺族らが運転手の男性への厳罰を求める署名活動を行った。 この事故は今年4月、東京・豊島区の池袋駅近くの路上で旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長が運転する乗用車が暴走し、松永真菜さんと娘の莉子ちゃんが亡くなり、10人が負傷したもの。

広島・中国放送のアナウンサー、中根夕希。 福岡県出身の彼女は、祖母、木村敬子さんは、かつて広島の実家で暮らしていた頃、被ばくした。 その体験を、これまで家族にも語ったことがなかったが…中根アナウンサーと敬子さんは、中国放送のアナウンサー、中根夕希は被ばくした祖母、敬子さんと74年前の足どりをたどることにした。 当時17歳だった敬子さんは広島女学院専門学校に通っていた。 7人兄弟のうち、長女、孝子さんと三男で末っ子の幸三さんが原爆投下後、行方不明となった。

47年前、母親は娘のただ一つの形見を原爆資料館に託して亡くなった。 母親から託された下着は、取材したRCC中国放送の中根アナウンサーです。 被ばく体験を語ることができる人がどんどん減る中で、遺品の存在、非常に大切になってきていますよね?広島の原爆資料館には今およそ2万点ほどの遺品が展示されています。 これまで受け取ってきた遺品そのものとその背景にあるエピソードを保存することで私たちもこれまでは被ばくされた方の思いとして原爆、核兵器は二度と使用してはならないということを言い続けてきました。

裁判官生活38年の後、法科大学院教授などを経て7年前、74歳で弁護士登録した。 木谷さんは、裁判のやり直しを求める再審請求の段階になってこれはもう確定審の段階で無罪ですよ。 すると、灯油は事件後、犯人かのように言われて裁判官がどうして、そういうことで短絡的に有罪判断に結びつけるというのは、とんでもない間違いだと。 私は罪に問われているような殺人も弁護団会議は毎回、札幌で開かれる木谷さんは、書き上げたばかりの最高裁に追加で出す文書案を携えて空港にやってきた。

この日、注目されたのは最高裁による再審開始判断を待つ鹿児島・大崎事件弁護団のメッセージ。