報道の日2019 米×中×露~激動する世界地図 その時日本は?〜

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この番組のまとめ

遠隔操作から軍事転用まで次世代通信規格5Gが世界を変えようとしています。 その当時のアメリカとソビエトがどうなっていたのか。 これは終戦の5カ月前、アメリカ軍により、秘密裏に撮影された写真です。 1945年8月、第二次世界大戦で日本が終戦を迎えたあともソ連は攻撃してきました。 極秘作戦の全貌を探るためアメリカのルーズベルト大統領とソ連のスターリン書記長、そしてイギリスのチャーチル首相が話し合った席でスターリン書記長は、日本との戦争に参加する見返りに千島列島の引き渡しを要求します。

1945年4月、プロジェクト・フラを進めたアメリカのルーズベルト大統領が死去します。 そのすべてがプロジェクト・フラによりアメリカから貸し出されたものでした。 早稲田大学教授、アメリカ政治がご専門の中林美恵子さんです。 詳しい方でございますから、このことはご存じだったですか?このプロジェクト・フラ、それからアメリカ軍がソ連の兵士をああいうふうに訓練していて、ああいう施設があって、いまだに上から撮るとその跡が残っているなんて、初めて拝見しました。

ソ連の核実験成功から1年後、原爆スパイとして逮捕されたのは…ニューヨークで小さな機械修理店を営む夫婦でした。 ヴェノナ文書とは、40年近くにわたりアメリカとイギリスが傍受したジュリアス・ローゼンバーグ、コードネーム・リベラル。 2人の逮捕当時、アメリカ政府の共産主義者に対する目は厳しいものでした。 冷戦を背景に、共産主義者の排斥運動、いわゆる赤狩りの嵐が吹き荒れていたのです。 物理学者のアインシュタインや、そんな風潮もあり、夫妻には死刑判決が下されます。

今年最後の取り引きとなった東京株式市場ですが、利益を確定する売り注文が広がり2万3714円で午前の取引を終えました。 今年は年明けに2万円を割る波乱の幕開けとなったが、米中貿易交渉に関してトランプ大統領が追加関税の検討など先行き不安を示すと株価が下がり、進展を明かすと株価が上がるという動きを繰り返してきた。 スキージャンプ、小林陵侑選手が本領発揮。 昨シーズンの年間王者がジャンプ週間連覇へ好発進。

警察によると昨日午後7時過ぎ、熊谷市大原の路上で41歳の女性が歩いていたところ、前から自転車で走ってきた男にいきなり腰の辺りを蹴られた。 男は年齢40~50代ぐらい、暗い色のベンチコートにニット帽姿だったとのことで警察は強盗事件として行方を追っている。 北方領土の二島返還なんてことを言い出すんです。 1956年10月19日、北方領土問題について、こう記されています。 日ソ共同宣言から35年後の1991年、JNNは北方領土で特別番組の取材を行いました。 父親はクジラの加工工場で人事課長として働いていました。

長年、北方領土問題を研究してきたロシア地理学会のポノマリョーフさん。 そうまでして、なぜフルシチョフ第一書記は歯舞と色丹の二島を日本へ返還しようとしたのか。 日ソ共同宣言の1年前、フルシチョフ第一書記は、アメリカに対抗するため二島を返還し、日本との関係改善を図ろうとしていたのです。 実質的にはアメリカを選ぶのか、それとも日本の独自路線を行く、その中にソ連というものを入れ込んでいくのかというところでやはり日本はアメリカを選ばざるを得なかった。

アメリカのCIAが開発したスパイ用ジェット機、U−2。 厚木基地からヘリコプターでアメリカ兵たちに写真を没収されたといいます。 不時着事故の2カ月後5ページにもわたり写真付きで取り上げたのです。 事故を起こしたのは、CIAがつくった極秘偵察機U−2。 アメリカはこの偵察機でソ連や中国の領空に侵入し、軍事基地などを撮影していたのです。 この黒いジェット機をアメリカは日本には隠して、厚木基地に配備していたのです。 偵察機の日本への配備を隠すためにアメリカは写真を回収したのです。

そのとき、なんと沖縄に配備されていた核ミサイルにも発射命令が出ていたんです。 この奥に鎮座していたのは…アメリカは、このような基地を沖縄の4カ所に設置。 アメリカ軍が残した沖縄の核ミサイル基地に重大な事態が起きたのはこの基地が完成した、まさにその年でした。 海上封鎖に向け、アメリカからはこのとき、沖縄の核ミサイル基地にある命令が下ったことを。

そして日本にアメリカの基地があるということはそういうことなんですね。 恵さんもおっしゃいましたけど、東京オリンピックも無事終わり、豊かさを実感し始めた時代だったんですが、大切なことを後回しにしていました。 そこには、こんな一文が…2018年、戦時中、強制労働させられたといういわゆる徴用工に対し、韓国の最高裁が日本企業に賠償を命じました。 このころ、日本と韓国は国交正常化に向けた交渉を10年以上繰り返していました。 そして韓国との国交を正常化したい日本、3つの思惑が交錯していました。

尊敬する中国と憎きアメリカの急接近に赤軍メンバーは目を疑ったのです。 1972年、中国は毛沢東主席の時代ですが、GDPは12.4兆円。 アメリカもこの10年で2倍以上となっていまして、GDPは139.4兆円です。 台湾出身の歌手、テレサ・テンです。 大陸を望む海岸に台湾出身の歌手、テレサ・テンの声が響きます。 金門島は戦いの最前線となりますが、このとき、台湾に渡った国民党軍の1人、トウ・スウさんの娘として生まれたのが、テレサ・テンでした。 事件で台湾の人々からも非難され、彼女はアメリカに逃れます。

島内では今もその声が…中国が撃ち込んだ砲弾で包丁をつくる金門包丁専門店の店主は…昼はトウ・ショウヘイが、夜はトウ・レイクンが支配する、そんな言葉がはやり、中国は彼女の歌を全面禁止にするほどでした。 アメリカ・レーガン大統領の暗殺未遂事件。 混乱したホワイトハウスは、なんとその影響でアメリカのメーカーは軒並み経営不振に陥り選手たちは涙ながらに参加を訴えました。 そう報告し、車はホワイトハウスへしかし、事態は急転。

権限はすぐ副大統領に移行します。 対応に追われていた午後4時ごろ、ホワイトハウスには大統領の負傷を聞いた記者たちが詰めかけていました。 大統領が執務不能という非常時に警戒レベルを上げないと宣言。 1つは副大統領のもとに。 通信状況が悪く、ブッシュ副大統領は瞬時の判断が下せません。 午後8時、ホワイトハウスに戻ったブッシュ副大統領がレーガン大統領の無事を発表し、事態は鎮静化。 その大統領が持ってるフットボール、持ってきました。

政治では1月、中曽根総理が就任後すぐ、レーガン大統領と首脳会談。 元自衛隊の情報幹部、佐藤守男さん東千歳通信所で当直中、報告を受けました。 大韓航空機はサハリン上空から日本海へ抜けるところでソ連軍機に撃ち落とされたのでした。 ソ連軍パイロットの交信を傍受した日本のテープはアメリカの国防総省で解析されます。 大韓航空機事件の7年前、アメリカへの亡命が目的でした。 ソ連軍にいたベレンコ氏ならかつてベレンコ氏はTBSの単独インタビューでソ連軍の容赦ない一面を明かしています。

実は、事件から9年後、ソ連の政府機関紙、「イズベスチヤ」の記者がそのほとんどが燃料タンクを空にして基地に戻ったといいます。 そういう気持ちがあったけど、でも奥に深いものがあるということも感じて国際関係、そして安全保障を学ぼうと思ってこの事件がきっかけでアメリカに行くことを決めましたね。 動かぬ証拠ですね、すごいですね今年、香港の反政府デモは中国の一国二制度の危うさを浮き彫りにしました。 その原点はロサンゼルスオリンピックの年、1984年にありました。 1984年7月、ロサンゼルスオリンピック開幕。

しかし、イギリスは香港全域を返還しても繁栄する香港の統治権だけは譲れないという立場。 中林さんはどう見ていますか?まさに今につながっている香港の状況ですけれども、恐らく若い人たちは、50年後ということだとあと28年ですけどイギリスが香港の統治を中国に渡したんだろうって、今、説明がありましたけれどもそれでもやはり最後はアメリカとソ連の大きな大国のパワーバランスの争いがあの中にあったと考えてもいいんじゃないかと思うんです。

冷戦時代、米ソが開発にしのぎを削ったのが潜水艦。 ソ連の潜水艦をソナーで発見したアメリカの潜水艦がわずかな音を頼りに追跡します。 原子力潜水艦のスクリュー音をいかに小さくするかに力を注いできた米ソ。 ソ連の潜水艦開発への関与を日本企業が疑われた事件。 それは潜水艦から出る雑音レベルの推移。 東芝機械がハイテク工作機をそして議員たちはあろうことか、東芝を批判するアメリカの議員たち。 東芝がジャパンバッシングの最大の標的になったのです。

1990年8月28日、日本の航空機が始まりはソ連のサハリン州から北海道庁への1本の電話でした。 たまたま仕事でサハリンにいた日本人からの救援要請でした。 日本の最北端、稚内上空を通過してほどなく防空識別圏に近づきました。 ソ連の防空識別圏を越え、サハリンに向かいます。 しかし、包帯からのぞいたやけどは瀕死状態のコンスタンチン君を乗せた航空機はコンスタンチン君は皮膚の移植手術で一命を取りとめます。

そしてゴルバチョフさん、日本でも相当人気が高かった人でございますが、その方が日本にやってまいります。 続いては、1991年、日本中が沸いたゴルバチョフ大統領の来日。 熊谷氏の任務はゴルバチョフ大統領の訪日までに領土問題の解決に道筋をつけることでした。 北方領土に対するゴルバチョフ大統領の意向を確かめにいった小沢氏。 ゴルバチョフ大統領は窮地に立っていました。 しかし、側近にも裏切られたゴルバチョフ大統領は1991年12月25日、ソビエト連邦が事実上、崩壊。

その核のバッグはエリツィン大統領の地元、アタッシェケースがアメリカのサムソナイト製だったのです。 そして、ロシアとアメリカが核戦争の危機に直面したのです。 この当時、ロシアに近いノルウェー沖の海域にはアメリカの潜水艦が行き交っていたのです。 それでも大統領がボタンを押さなかった理由は…ロシアは今、再びアメリカと対峙。

アメリカのGDPは1049.7兆円。 冷戦末期の4倍となっているのが中国で、119.2兆円、伸びていますね。 冷戦末期86.9兆円のGDPは4分の1以下にまでなってしまいました。 2001年、アメリカと中国はやってきた21世紀。 2001年、島の飛行場にその直前、偵察機は中国軍の戦闘機と接触。 アメリカの偵察機の乗組員24人は中国に拘束されました。 乗組員と偵察機の返還を求めこのとき、中国とアメリカが初の直接対決をしたのです。 アメリカも負けじと台湾近海に空母艦隊を派遣。

アメリカはその後、東アジアから距離を置き、まず、あの時代のことを考えますと、1999年5月にコソボ紛争があって、ユーゴスラビアの中国大使館が爆撃されているんですね。

今年、韓国との間で大きな問題となりましたGSOMIA破棄を巡る騒動。 粘った韓国ですが、ついにGSOMIA破棄を見送ると発表。

ですから、軍とムン・ジェインさんの間は必ずしも、しっくりいってないなというのがここから読み取れるし、それから、アメリカ軍と韓国軍の関係っていうのは非常に密接なので、なかなか中国の思うようにはいかないだろうなというのがあります。 ただ、GSOMIAを通して、あるいは半導体の輸出の管理強化ということを通して韓国が中国側の傘の中に入ろうかというような気持ちを韓国側に起こさせたというのは東アジアの地殻変動を招く、そういう要因の1つには、今もまだなっている、トゲは刺さったまま。

その核弾頭のターゲットは…トランプ大統領の別荘もあるアメリカのフロリダ半島でした。 今年2月、トランプ大統領は軍拡競争が再び始まろうとしています。 経済力でも軍事力でも2大パワーとなったアメリカと中国ですが、トランプ大統領は2018年、中国に対して優位に立てるかもしれない、あるものを知ります。 この計画のもと、後継政府となった中華民国によって支払いが続いたのですが…日中戦争が勃発し、支払い停止。 中身は清や中華民国が発行し、不履行となった幾つもの債券です。

来年から新たな産業革命を起こすとまで言われている次世代通信規格、5G。 こちらで次世代通信規格5Gで送られてきた現場の映像を見ながら車両を動かすことができるのです。 去年12月、アメリカの要請によりファーウェイの副会長がカナダで逮捕されたのです。 その直後、日本政府も、各省庁の情報通信機器からファーウェイ製品を排除する方針を固めます。 しかし、アメリカは焦っていました皮肉にもこれが国有企業を優遇してきた中国政府とファーウェイを接近させることになるのです。

1978年、冒険家の植村直己さんが世界で初めてグリーンランドの単独縦断に成功。 人口5万6000人のおよそ9割が先住民のイヌイットという静かな北極圏の島に近年、中国の足音が近づいていますこの衝撃的な発表に、アメリカのトランプ大統領は今年、アメリカのトランプ大統領はグリーンランドを買収したいと突如言い出しました。 アメリカとグリーンランドの関係は第二次世界大戦中に始まりました。 現在、ロシアにあるとされている11のミサイル部隊と、ワシントンを線で結ぶとほとんどがグリーンランドの上空を通過します。

グリーンランド情勢に詳しい北海道大学の高橋助教は、中国の援助に潜む危険性を指摘します。 グリーンランド代表部のオールセン首席代表は…冷戦終結の象徴だったINF=中距離核戦力全廃条約。

年明けは2万円を割る波乱の幕開けとなったがその後は米中貿易交渉に関するトランプ大統領の発言に振り回されながらも今月第1段階の合意に至ったことなどから今年の最高値をつけた。 この事件は2000年12月世田谷区上祖師谷の住宅で宮澤みきおさんら一家4人が殺害されているのが事件からちょうど19年となった今日、みきおさんの母、節子さんが犯人逮捕につながる有力な情報には年末の風物詩、大鏡餅の奉納。 東京オリンピックで水球会場となる東京辰巳国際水泳場で屋根を支える柱の2カ所からアスベストが見つかっていたことが分かった。