何より子どもたちが おっちゃんこして お座りして食事をしたり何するにしても 家族の一員が1人増えたので椅子を用意しよう というのは ごく普通のね「君の椅子」はこれまで1000人を超す 子どもたちに贈られ今では全国から 関心が寄せられています命の誕生を祝うプロジェクト広がりを見せる中 あの出来事が起こりました2011年3月11日 『東日本大震災』死者 行方不明者 合わせて2万人以上全てが 失われたと思ったあの日…一体 何人の赤ちゃんが 生まれていたのか?起きてしまった あの悲しい日に確かにあの日 100数名
今 自分たちが作り手として 出せる力を岩手県 宮古市では 震災から9ヵ月が経過津波や地震で 500人以上が亡くなりました母子手帳には こう記されています「3月11日さくらたん生 大じしんと大津波のあった日」妻と娘を連れて 病院の2階から3階へと避難波が盛り上がっているのを 確認して下澤さんを見て すごい偉いなと思いますよね。
『希望の「君の椅子」』は2ヵ月かけて 98人に届けられましたしかし 家族とゆっくり話すことはできませんでしたあの涙の意味を もう一度会って確かめたい宮城県 白石市椅子を届けた時 その姿が印象的だった山崎さんの家族あれから およそ1年 次女の りらちゃんですりらちゃんは震災の39分前に 白石市内の病院で生まれました この椅子が すごく時間かけて 丁寧に愛情込めて作っているっていうのが これを見ていると すごく伝わってくるんですよね。
ずっと おばさんが4歳から私を連れて行って 育てていたんですけどずっと 4歳からずっと おまえは母親に捨てられたんだ捨てられたんだって ずっと言っていてなんで産んだんだろう?っていう思いばかりしか 募ってこなかったからいらなかったら 産まなきゃ良かったじゃんって33年間 一度も会ったことがなかった母・たえ子さんと宮古市内のバス停で 偶然出会ったのです再び会えると 信じていた悦子さん しかし…悦子さんの母・たえ子さんは 再婚していました悦子さんは震災の後 母のことを知ろうとしました再婚相手を何度も訪ね母への