ヒバクシャと被曝者繰り返される悲劇<Wナイト>

戻る
【スポンサーリンク】

町長に同行してきた 紺野則夫さん浪江町民の健康を守る 健康保険課の職員です震災と原発事故で…いずれもゲートが 設けられています役場の仕事で 紺野さんは 度々 浪江町に入ります東日本を襲った 巨大地震と大津波津波は 福島第一原発にも 容赦なく襲いかかりました「絶対 安全」と言われてきた 原発が メルトダウン放射能が 福島の大地に ばらまかれました原発から近い浪江町の町民には 何の情報も伝わりませんでした国からも 東京電力からも 何の連絡もなかったのです町役場は これまでの 訓練に従い原発から離れた津島地区に

浪江町は避難先の二本松市にある 廃校を利用して「浪江小学校」を開校しました原発事故前 浪江町には 6つの小学校に1,100人の子供たちが 通っていました「あさの ひかりを あびて 竹やぶの 竹の はっぱが『さむかったね』 『うん さむかったね』とささやいて います」。 原発事故後 各地に避難した 子供たちの多くは避難先の学校に通っていますこの学校に帰ってきたのは わずか30人浪江町が この学校を 再建したのには理由がありましたそこでは すごく いじめられたりしてたので。

原発事故が起きるまで 大江さんが働いていた自動車整備工場を営んでいた 木村さんです今は福島市の借り上げアパートに 1人で暮らしています妻と2人の息子は そのまま 埼玉県に残っています線量が高い所があったり ホットスポットがあったり…。

放射能が もたらした差別に 生涯 苦しんできた 片山さん今 そのことを伝えなくてはと 考えています資料館には 広島が受けた 放射能被害も展示してあります紺野さんの広島訪問は 被爆者健康手帳がどのように運営されているかを 学ぶことが 大きな目的です「テンポラルサブストラクション」 と言うて 過去画像と比較して…。