あのころ 家族 4人 みんな 元気でした11年前の 私32年前の 父と私25年前の 父と私歌舞伎役者…待ってました!父は おおらかで深く 澄み渡った 青空のような人でした私は 亡き 十二代目 市川 團十郎の娘です市川ぼたんという名跡を 父が授けてくれました親子の距離を 一気に縮めた 父の入院その日々を 克明に記録した 私のノートこれが 病院日記の 一番 最初の。
白血病は 血液のがんです治療は 大変 難しく 底知れぬ不安が 襲ってきます病院側の配慮で 父は 架空の名前になっています父は 兄の 襲名公演を どんなに 楽しみにしていたか1・2の 3。 歌舞伎座が 新しく オープン主役 助六の登場を もり立てます今回 私は 特別に その一人に 加えていただきました♪舞台正面の みすの中で 私は 三味線を奏でます『助六由縁江戸桜』助六は 父の当たり役と いわれていて私は 傘の中から父が 出てくるのではないかという 気がして なりませんでしたこれも そう。
森って どこ?体を 赤く塗り顔に 墨や 紅で 隈取りをした 初代幕府による 劇場 閉鎖の 危機から歌舞伎界を 救った 二代目以降 市川團十郎家は江戸歌舞伎を 支える 存在となりました演目の特徴は 豪快な 英雄が神懸かり的な 活躍を 見せたり超人的な 若者が 悪を倒すいわゆる 荒事勧善懲悪の世界は 江戸の町人たちの日々の 鬱憤を晴らし 熱狂させました市川 團十郎は 庶民の ヒーローであり見るだけで 御利益をもたらす 存在と 考えられていました人々の苦悩を 浄化し救おうとすることの 難しさ。
父の白血病が 再発しました父と 37年間 連れ添った 母父が 二度目の入院をしました思っておりますけども。 でも どうしたら いいんだろうね?でも 娘って 普通さ お父さんみたいな人と結婚したいっていうの 結構 普通なんじゃないの?そうでもないの?新たな治療に 備えて 体力づくりに 励みます今度こそ 白血病を 完全に治すためにもっと 足 こう 前に上げて。 この治療では 大量の 抗がん剤を 投与します致死量 ぎりぎりまでそろそろ 薬が ボディーブローのように 効いてきて食欲が 今日は ありませんでした。
私は 市川流の舞踊家として 市川ぼたんを 襲名しました名人 左 甚五郎が 彫った人形に 魂が宿り 動きだすという物語何のために 踊るのか?誰のために 踊るのか?父が亡くなって 7カ月がたった 9月父の大好物だった 炊き込みご飯を父と母と 3人で 食べます晴れ男の父に ふさわしい 秋晴れです正常な血液が つくれなくなる 難病指定の病気でしたえー。 今回は 白血病ではなくて単位が 上がらないと いうことなんで同種移植ということに なりました。 同種移植というのは 他の人から幹細胞…。
二度目の パリ公演はオペラ座の総責任者 たっての希望で 実現しました團十郎さんの歌舞伎が ここに いらしたときは團十郎さんの 歌舞伎によって この部屋が生きたといいますか。 記憶は 残る父は フランスの人々に どんな記憶を 残せたのか?私は 振付助手という名目で 連れてきてもらいました親の働きが 子に見える。 父 四度目の入院は 2012年 12月でしたメリークリスマ…。