麻原法廷漫画20年前地下鉄サリン事件はこうして起きた

戻る
【スポンサーリンク】
14:00:06▶

この番組のまとめ

その男の名を 麻原 彰晃といった自分が 解脱したものと 空想して周囲にも 虚言を弄し被告人に傾倒する 多数の 取り巻きの者らを 得るとさらに 自分が 神仏にも 等しい絶対的な存在である旨 その空想を 膨らませていきついには 救済の名の下に日本国を 支配しようと 考えた。

その 彼らが引き起こした 未曽有の テロ事件1月に 阪神・淡路大震災が 起きた年その年の 元日の新聞には オウムの教団施設から教団の武装化が バレてしまうサリンと 自動小銃を 大量生産して日本を 征服するはずが王様になれなくなるそうした中で 目黒公証役場 事務長仮谷 清志さんが 連れ去られる事件が 発生最初に 地下鉄サリン事件の 話があったのは平成7年 3月18日 午前 2時すぎ。

何時に 集まれば いいんだ?教祖の空想は とどまるところを 知らないそして 事件の実行役の 5人にサリン散布の指示が 伝えられる地下鉄に サリンを まくことは村井から 話がありました。 平成7年 3月18日 午前 3時か 4時ころ村井が 私の部屋に 入ってきました。 どうだ? うれしいだろ?村井は 非常に 興奮している様子で私の部屋を 2~3回 出たり入ったりしていました。 ワークを与えられて うれしいだろ?それから 午前 8時か 9時ごろ村井の部屋に 林 泰男。

村井から 電話があって 実行役の5名と 運転手の2名が2台の車に 分乗してサリンプラントまで 取りに行きました。

家族から見た 信者たちの素顔いったい 彼らは どのように 育ってきたのだろうか?あなたは 豊田被告の お父さまですね?はい。 関西の高校で 体育の教師をしています。 つまり 被告人の おじいさんは?高校の 生物の教師で 校長まで 務めました。 私の弟は 関西の県立大学で 哲学の教師を しています。 宗教に無関心で 宗教について 言ったことはただ 大学へ行くとき 新興宗教は いかんと 言っていました。 大学では 応用物理学を学び 首席で卒業。

出家後の 生活については?自由に 勉強 研究ができる 理想郷をつくると言っていました。 大真面目に バカをやるバカがつくほど 真面目に 指示に従うある種 マインドコントロールされてきて研修という名の下に 缶詰めになって。 そして 彼らは サリンを まく車を降りたのは 中目黒駅の近くでサリンの入った かばんと 傘を持って 降りました。 日比谷線の 上野駅に 着いたのは午前 7時ごろだったと思います。 それから 切符を買って 上野駅の構内に 入るとその後 仲御徒町に 行きました。

中学時代に テニスを やっていて 関東大会の 公式戦に体調は 非常に 疲れていて ベンチを探しても なくて。 それで 千駄木駅まで戻って 改札近くの 大便所に入ってサリンの袋を 二つ折りにした 新聞の間に 挟みました。 それから 千駄木駅の プラットホームに下りて天井の 時刻表を見て8時に 新御茶ノ水駅に 着く 電車を 調べました。 電車に 乗る予定は 7時50分 少し前でしたのでそれまで しばらく 東口方面を 歩いたり駅ビルの地下で スポーツ紙を 買ってトイレの中で サリンを 包んだりしていました。