直撃LIVE グッディ!

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14:41:17▶

この番組のまとめ

今日はあの東日本大震災で 甚大なそして壊滅的な被害を受けました 宮城県の女川町から今日の「グッディ!」は 全編、生中継で皆様にお届けしようとこういうふうに思っております。 ここ宮城県の女川町というのは実は、あの東日本大震災では 最も高い死亡率の町となってしまったんです。 ここは去年12月23日にオープンした 本当のホヤホヤの場所でして駅前商店街 シーパルピア女川なんですね。

そして、先ほど商店街は本当に復興のトップランナー、進化を 遂げているということですがそこから一転、女川湾の近くに 目を転じてみますとまだまだ、見てください。 真新しく見えますが、この病院も被災当時、1階の天井付近まで水がくるとは 多くの方がそう感じたといいます。 今、改めてこの町を今日も訪れてみて あそこまで津波がきたんだ16mの津波がきたんだという想像を絶する津波の恐ろしさを改めて5年経った今でも 非常に生々しく感じます。

行方不明の夫の 死亡届が出せないでいる熊谷幸子さん。 宮城県南三陸町の戸倉中学校。 宮城県南三陸町の津波で志津川中学校への統合を 余儀なくされた戸倉中学校。 この駅前商店街の メインストリートはまっすぐに 遊歩道になっているんですが海に通じているんですね。

高齢者の方が たくさん来ていただいてここに来ていただいて 誰かいるんじゃないかみたいので交流の場と なっていただければなと広いこの商店街で色鮮やかなスペインタイルの お店をしようと決断したそのお店が、こちらなんです。 なので、この明るいタイルで震災前は 陶芸をやっていたんですけど震災後に いろいろなご縁がつながってこのスペインタイルというものが 紹介されてそれをタイルを使って 残して後世までつなげていけたらいいなという思いです。

あの東日本大震災から 間もなく5回目ということで2時46分を 迎えようとしているんですが私たちが立っている この女川の海岸線のところもご覧のように 海をじっと眺める方たちの姿が増えてきました。 あえて女川町では 東日本大震災の記憶をこうやって町は 復興させるんですけれども失わないために あの交番はそのままの姿をこれからもずっとここでとどめる ということになりました。

先ほどもお伝えしました 5周年の追悼式典なんですけど間もなく天皇陛下がお言葉を 述べられることになっています。 そのときに天皇陛下の体調を 非常に心配された皇后さまが和服姿でかかとの安定した 草履を履いて、それはいつでも天皇陛下を 支えられるようにというそういうご配慮から 和服姿でのご臨席となりました。 それでは、天皇・皇后両陛下が ご登壇され天皇陛下のお言葉へと続きます。

その影響に福島第1発電所からちょうど20km圏内にあります 南相馬市の小高区。 待ちに待ったはずの避難指示解除。 しかし、避難指示解除を前に 志賀さんはある決断をしました。 震災で半壊状態となったこの店を避難指示解除のタイミングで 取り壊すことを決めたのです。 来月にも 避難指示が解除される予定の福島県南相馬市小高区。 小高区役所が実施した アンケートによると安藤が取材に入った日の夜 小高区の双葉屋旅館ではこれは 避難指示が解かれた小高で新しいビジネスや 公共のサービスを考えるというもの。

避難指示の解除に向け 人々は必死に人生の決断と向き合っています。 前に進むことそしてとどまっている いろんな局面でいろいろな決断があると 思いますが一方で避難指示が 解除されていない地区というのもあります。 ランボルギーニを モチーフにしたダンボール製のオブジェです。 なんという名前ですか?アベンダンボール。 なんで アベンダンボールなんですか?本家の名前が アベンタドールという名前だったので。

強化段ボール、これで 家具までできちゃうということで仮設住宅や仮設の校舎など こういう段ボールでいろんなものを作れると。 備えを大事にということで 本日はコンポーズファクトリー今野社長にお話を伺いました。 東京・国立劇場の追悼式では 天皇陛下のお言葉に続いて被災者代表の遺族が この5年間の思いを語りました。 国立劇場で開かれている 東日本大震災五周年追悼式。 いまだに 父が行方不明になっている岩手県宮古市出身の 山本永都さんが父への思いを語った。 福島県大熊町出身の 佐久間國行さんは…。