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16:23:07▶

この番組のまとめ

福島県浪江町です。 5年前、大地震から 1時間が経過したこの時刻にはこの辺り一帯を 津波がのみ込んでいました。 今日は、ここ 福島県浪江町からお伝えします。 地震後 東日本の沿岸部を襲ったのはかつて経験したことのない 大津波でした。 懸命の救助活動は 被災地全域で続けられました。 東日本大震災の犠牲者は1万5893人。 東京都内では 天皇・皇后両陛下ご出席のもと政府主催の追悼式が開かれました。 福島県浪江町請戸小学校から生中継でお伝えしています。

その原発ですけれども今回、私たちは津波がくる前に撮影された 福島第1原発4号機の原子炉建屋の中の写真を 入手しました。 その中に写っていたのは東京電力も把握していなかった 巨大地震直後の原子炉建屋内部の様子。

東日本大震災の発生直後 首都圏も帰宅困難者が出るなど混乱が続きました。 JR東日本では災害時安全が確認でき次第 多くの駅でスペースを一時滞在場所として 開放できるよう準備を進めています。 そして、もう1つ 首都圏各地で起きた大混乱が…。 震災直後、首都圏各地で起きた 買いだめ騒動。 ベルトコンベヤーのようなものが あるんですが物資を運ぶとき こういうものを使って新名所東京スカイツリーがある 墨田区では区民向けの備蓄倉庫とは別にモニターがたくさんありますね。

昨日午後10時過ぎ愛知県蒲郡市の住宅でこの家に住む杉浦加津代さんが巻きつき、耳から血を流していて 隣の部屋から引きずられたような血の痕が 残っていたということです。 メンバーの国籍はアラブ諸国や ヨーロッパを中心に51か国にのぼり 氏名、生年月日、国籍5年前、東日本大震災の津波は 人々の日常生活に襲い掛かり そしてそれを奪いました。 日本全国に張り巡らされた 道路の交通状況を確認するために国土交通省が設置している ライブカメラ。 死者・行方不明者 568人を出した岩手県宮古市。

今日は特別に許可を得て 沿岸部から100mほど離れた請戸小学校にお邪魔しています。 甚大な被害が出た 岩手県陸前高田市では船の上から海に花を手向けました。 追悼式に遺族の代表として未曽有の被害を出した 東日本大震災。 ここは岩手県陸前高田市。 5年前の東日本大震災で 犠牲になった多くの人が眠る寺の一角には 名前ではなく番号と、遺体が 安置されていた場所が刻まれた小さな墓石も並んでいます。

女川町は5年前 15mの津波に襲われ人口の1割にあたる 872人の方が犠牲となり町の7割ほどの住宅 3200戸が全半壊するなど 甚大な被害を受けました。 しかし、その後の女川町は 復興のトップランナーと呼ばれるほど町づくりが 比較的、順調に進んでいます。 そして、この時間、商店街には震災の犠牲者への鎮魂の祈りと女川の復興への 願いを込めて作られたランタンが並べられています。

震災後、地元の高校に進学した 美南さんはある活動を始めました。 浪江町の請戸小学校ここ2階なんですが 5年生の教室だった場所です。 時間割が まだ貼られているんですがありましてやはり、ずっと 津波の直後の爪痕が瞬間冷凍されたように 残っているというのが震災直後に取材したことを思い出しますね。 本当に震災直後そのままの状態ということに 本当に胸が痛くなります。 そしてこの教室にいた 子どもたちと同じように震災当時5年生だった3人の 今、高校生が語り部の活動を始めました。

私たちがいるのは 請戸小学校1階の教室ですがここから6km南 福島第1原発排気筒を確認することができます。 今回、FNNは 地震発生直後の福島第1原発の写真を独自に入手しました。 この画像により 4号機の原子炉建屋内で水が漏れていたことが 新たにわかりました。 この写真は作業員が 地震発生直後に撮影したもので 床には本来ないはずの水たまりが写っています。 撮影されたのは4号機の原子炉建屋1階で 原子炉の制御棒を動かす装置や配管などがある場所です。

そして放射線量によって 浪江町、ご覧のように色分けされた現状がなおあります。 この浪江町ですけれども帰還困難区域居住制限区域 避難指示解除準備区域と放射線量によって町が3つの 区域に分断されているんです。 去年9月、避難指示が解除され 楢葉町の自宅に帰ることができた 松本さん夫婦。

原発作業員たちに相次いでいる白血病などの病気。 悲痛な叫びとその裏で進められていた 幻の原発作業員たちを守る作戦。 これは、震災4か月後の 2011年7月福島第1原発の汚染水浄化施設を 撮影した映像です。 音楽が流れる暗い建物の中防護服とマスクをつけて 床をはく作業員がいます。 白血病の労災認定の基準は 年間5ミリシーベルトでナカノさんは その3年分の線量をわずか1年で 浴びたことになります。 気温30度を超える 暑さの中とはいえ線量が高い場所にもかかわらず作業員たちは マスクを外しました。

当時の委員長 班目春樹氏に聞くと谷口医師によれば、これまでに作業員4人の造血幹細胞を 採取したといいます。 これがロードマップなんですがご覧になるとわかるように 建屋内の汚染水の処理や使用済み燃料の 取り出し保管というのは2020年、華やかな オリンピックが開かれている真っ最中なんですね。 そういう状況で、廃炉まで30年とか40年かかると 言われているんですが最近になって 林幹雄経済産業大臣がそれに向かって 最大限努力するという廃炉がまた遅れるんじゃないか という可能性すら浪江町請戸地区です。