たしかに、そこは町だった~広島平和公園の下に〜<フジバラナイト FRI>

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この番組のまとめ

海と山に囲まれてのどかさと活気が 同居する町 広島そして 半径2kmが 焼き尽くされた一命を取り留めた人たちも 後遺症に苦しめられ…「何としても ここから 立ち上がりたい」戦後 復興が急がれる中原爆ドームの川向かいに 建設が始まり被爆から 9年後に 完成したのが 平和公園でも 美しい公園と引き換えに分からないままとなってしまった広島市などが共同で 元住民への聞き取りを重ね完成させたのが この復元地図今の平和公園がある場所はかつて 中島地区と呼ばれていた消えた町 中島地区そこには どんな暮らしがあったのか幼

繁華街 中島本町から橋を渡って 川向かいにあった…広島の経済発展を支える 拠点として そびえ立ちその建物の中では 広島の物産品を 展示していたほか国の行政機関なども入っていたとても 子どもの遊び場には 思えないけどこの大階段の手すりが珍しく滑り台にするのが 子どもたちのはやりだったよう中には 慈仙寺いう お寺があってね。

中島地区は 当時 広島 一二を争う繁華街近くには 好きだった力士が いつも泊まる旅館が乙女心が うずいたようで…「天城旅館」で相撲取りさんが 皆 草履を脱いで 奥に入ったらその草履を見に行くのよね。

平和公園の中にある レストハウスは爆心地に近い中島地区で 唯一 残った被爆建物話を聞き 資料を調べてかつての中島地区に触れていった 木村さんと柳さん17歳と18歳の目に その町は どう映り何を感じているんだろうこの日 2人が足を止めたのは平和公園に 数多くある慰霊碑の一つ刻まれているのは 原爆で亡くなった生徒たちの名前その一つ一つに 掛けがえのない 未来があるはずだった2人には より強い思いが芽生えていた核爆弾がですね この広島の上空で爆発してで あの焼け野原を見たらですね戦争の恐ろしさ 核の恐ろしさとい