報道スクープスペシャル 激動!世紀の大事件。 東京町田市で無理な追い越しから、車2台が 絡む事故が起きました東京消防庁の隊員によって3人が師走の東京です。 消防隊員に道の崩落を教えたのはFNNの報道クルーでした。 かろうじて一部が残った家屋も相次ぐ地震をかいくぐり倒壊家屋から住人を助け出した 消防隊員たち。 羽田空港の目と鼻の先で墜落した航空機内の試練の時を迎えた医師がいる。 時間を見つけて航空関係の専門書を読みあさりしかし、そこには現場に入れなかった父の無念を晴らすように墜落機内に踏み込んだ 高橋医師。
強い思いを胸に現場に臨んだ高橋医師は 生存者の状況に絶句した。 ジュラルミンの板が 背骨までこの状態ですでに1時間半。 その最後の生存者が機内から救出される瞬間の映像が 残っている。 墜落から3時間半奇跡の救出だった。 クリスマスまで、あと1週間華やかなイルミネーションと 人々の高揚感が街を包んでいます。 19人もの障害者をと語った 植松容疑者。 この事件をきっかけに差別意識や憎悪を動機とする 犯罪ヘイトクライムという言葉が 注目されました。
彩香ちゃんの成長を喜ぶ鈴香の笑顔に影を読み取ることはできません。 精神鑑定で西脇医師が書かせた日記にも。 この頃、鈴香は不眠症に苦しみ 何種類もの睡眠導入剤を 服用しています。 鈴香は母親の責任を全うできないいら立ちと自己嫌悪。 当時、実母に頼っていた鈴香は 毎日のように実家で彩香ちゃんをお風呂に入れ食事もそこで。 娘への手紙を残し多量の睡眠薬を服用して全てから逃避しようとした結局は死に切れなかった彼女をさらに苦しめる出来事があったと、西脇医師は言います。
東京に突如現れ飛躍的に経済成長をとげ 大量のエネルギーを必要としていた日本で東京湾はタンカー や貨物船があふれかえり世界一過密な航路となっていた。 その東京湾のど真ん中で巨大タンカーと貨物船の衝突という信じがたい事故が起きる。 燃え上がったタンカーの名は 第十雄洋丸。 当時日本最大級だったタンカーは液化石油ガスと ナフサを満載していた。 そして燃え続ける雄洋丸は制御不能の火薬庫となって東京湾内を漂流。 曳航ロープは切られ雄洋丸は日本近海を漂うまさにゴジラと化した。 日本近海を漂流する 海の爆弾第十雄洋丸。
それが 日本初の心臓移植手術だった。 執刀したのは 天才外科医和田壽郎。 と、殺人容疑で 刑事告発され結果は嫌疑不十分で不起訴 だったのだが。 和田は28歳でアメリカに渡ると最先端の心臓外科医療を学び帰国後間もなく札幌医大胸部外科の 教授となった。 日本初の 心臓移植を受け83日間、生きた人物だ。 心臓移植について議論している。 2人の医師が そう証言した吉村さんはおぼれたその日のうちに札幌医大付属病院に 搬送されていた。 治療室で待ち構えていたのは和田を筆頭にした10人以上の胸部外科医たちだった。
和田から告げられたのは実は、心臓移植を やろうと思う。 心臓移植。 そしてついに深夜2時5分 日本初となる心臓移植が行われた。 一番の争点はが自発呼吸がなく 心肺停止などを確認し死亡判定したと主張。 和田によれば、高橋医師による 蘇生中に脳波が 平たんになったことも調べた。 それらの報告を聞き 和田は吉村さんの死亡判定をしたという。 日本初の心臓移植。 テロリストの手に落ちた 旅客機の相次ぐ激突によって マンハッタンのシンボルはごう音とともに崩落しました。
山陰合同銀行オフィスも 同様の状況にありましニューヨーク支店長石橋さんは 炎の勢いと火の回りの速さにがく然としたといいます。 非常階段を目指します。 まだ誰一人 2機目の旅客機が近づいていることを知らなかったのです。 それにしても旅客機の激突はなぜ、あのようなビルの崩落まで招いたのでしょう。 後のシミュレーションで旅客機が、ビル中央を貫く柱の多くを 破壊したことが分かりました。 旅客機が激突したとき衝突のエネルギーは破壊された柱に伝わります。
トイレットペーパーをめぐる大騒動です。 うわさを信じた方々が トイレットペーパーに殺到。 皆さん、トイレットペーパーを 買うために捜し出すことができました。 騒動の始まりを目撃したこの日 準備した目玉商品の1つに、トイレットペーパーが ありました。 今買いだめしないと トイレットペーパーがなくなっちゃう。 しかも、新聞紙面には無責任な言葉も日本列島を駆け抜けたトイレットペーパー 買い占め騒ぎ。 当時の通産省でトイレットペーパーの 流通を管理していた村岡茂生さんは おっしゃいます。
在庫への安心感を高めるために通産省特別あっ旋の 文字も添えられました。 波乱に満ちた人生を 聞き取ったジャーナリストが初めて明かす 白鳥の肉声。 一方その脱獄劇に ほんろうされ無念を抱えたままの元刑務官がいた。 春まだ遠い網走に 白鳥由栄はやってきた。 言わずと知れた日本最北端の刑務所。 ここは網走刑務所だ。 青森で細々と豆腐屋を営んでいた白鳥は生活苦から盗みに手を染めた。 半ば強引に 主犯とされ青森刑務所に入れられてしまう。 網走刑務所元刑務官 大谷進。
実際に白鳥が入れられていたその24房が 今も残っている。 その上、一般の受刑者が日中、刑務作業に着く中白鳥は、一日中独房に 閉じ込められたままだった。 狙いはいかに 白鳥の心を夏には分厚い綿入りを着せ 長時間の拘束でうんだ手首からはうじが沸いた。 網走脱獄を決意した白鳥。 白鳥は手錠同士を打ち付け かんだ。 白鳥は、身体チェックをクリア。 白鳥は手錠を外し鉄格子も外すとなんと、肩の関節を外して 外へ。 刑務官が駆けつけるのが先か行き過ぎた対応が返って白鳥の心に 火をつけたのだ。
部外秘と刻印された資料には機動隊が安田講堂を 解放するまでの俺たちはなぜ学生と戦うのか。 大学側は封鎖を解除するため 警視庁機動隊を要請します。 これに対し機動隊員1人が殉職します。 機動隊員は10人の機動隊を殺してやる。 学生たちを排除するため機動隊が東大に投入されたのは 1月18日午前7時5分。 想像を超える学生の抵抗に機動隊員を捉えています。 この修羅場に新設間もない第7機動隊が投入されます。 一方、第4機動隊も左側面からの突入に成功。
互いの先頭車両は満員列車の正面衝突事故。 今回 事故の継承になるならばと口を開いたのは事故の全てを知る消防隊員。 あの日、事故を起こした世界陶芸祭しがらき号 行き先はその年信楽で開催された陶芸の採点だった。 列車は、途中にある待避線で地元のローカル鉄道 SKR列車とすれ違いしがらき号は通過してしまう。 こうして満員の乗客を乗せたしがらき号は 対向列車のいる一本のレールの上を突き進む。 クレーンなどで固定しなければ列車もろとも崩れこうして始まった命懸けの救助活動。
落盤事故が起きた南米チリ北部のサンホセ鉱山。 精神科医アルベルト・イトゥラさんは この地に立つのは6年ぶりです。 事故直後現場に駆けつけたカメラマンが鉱山の様子を撮影していました。 坑道はつぶれ作業員たちのいる場所に 到達するのは不可能でした。 精神科医が抱いた危機感は やがて現実となるのです。 まずはパロマと名付けられた筒に水や食料を詰め作業員の元へ。 事故発生直後避難所に備蓄されていた食糧はカメラが届いたとき食料はほとんど底を ついていました。