引退特別番組 浅田真央26歳の決断~今夜伝えたいこと〜

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この番組のまとめ

私たちは 浅田真央に寄り添っていた。 浅田真央は、子どものころから 取材を受けてきたディレクターに引退を決めた真意を語った。 浅田真央の今年の全日本です。 トリプルアクセル挑戦も含め今、できる自分の全てをやる。 記者会見では 今日は泣かないんだと言って出発していったんですけど やはり最後の言葉をってかけられたときに これまでの感謝の思いですとか自分のこれまでを 振り返ったときに涙がこみ上げてくるものが あるんだと思いました。 そんな浅田真央さんの軌跡を今夜はスタジオにご用意しました。

トリプルアクセルを世界で初めて 成功させたスケーター伊藤みどりを育てた、その人だ。 浅田真央が初めて世界の頂点に 立ったのは、2005年。 浅田真央はシーズン前半戦 初めて出場したシニアのグランプリシリーズ 全てで表彰台。 浅田真央が挑んだのは 2度のトリプルアクセル。 トリプルアクセルからの コンビネーション。 本格的なシニアデビューに向けて浅田真央は アメリカへと練習拠点を移した。 東京で行われる 世界選手権出場のためにはここでの表彰台が絶対条件。

自分の結果も こういう形で終わってでも、本当に これだけ若い選手が出てきてスケート界の未来も明るいなとすごい思いましたし自分も 15歳からシニアに上がってソチまでずっと結果を残してずっとやってきたので全日本が終わったときに 本当に、ああ、もう自分の役目は終わったんだなというふうに 思えたことがこういう決断につながったのでやっぱり若手も たくさん出てきていますし本当に自分のやるべきことは やってきたのかなって。

20代後半になっても 真央ちゃんって、みんなが慕ってくれる存在っていうのはフィギュアスケートの人気とか盛り上げっていうところに 一番、貢献してくれた2日後に17歳の誕生日を迎える 浅田真央にお願いしたのはこれから積み重なる 1年1年の未来予想図をそうそう、19歳はもちろん バンクーバーの年。 冒頭のトリプルアクセル。 勝負のオリンピックシーズン タラソワコーチと浅田真央は新たな挑戦に乗り出した。 オリンピックへの切符を 手に入れるチャンスは全日本選手権での一発勝負。 そう信じて跳んだ トリプルアクセル。

よし、やった!という浅田真央。 でも、みんな 真央よりも先輩の選手たちはみんなそれぞれ最後まで 全力でやってたと思ったし。 真央ちゃん、真央ちゃんって いつもついていってて僕はフィギュアスケートを多分、やらなかったと思います。 今まで、真央ちゃんに 教えていただいたこと真央ちゃんを手本にして 頑張ってきたことを今後も続けていきたいなと 思うのでどこかで見ていただけたら うれしいです。 2日後に17歳の誕生日を迎える 浅田真央がスケッチブックに記した 未来予想図。

それだけ、自分よりも子どもたちを優先して 自分のことをしないぐらい自分たちに 捧げてきてくれてたので本当に感謝してます。 5歳から フィギュアスケートを始めて食事まで夜寝る時間まで お昼寝の時間も全部フィギュアスケート中心の 生活をしてきて。 本当に、フィギュアスケートが大好きっていうのが 一番にあったと思いますけどその中には、やっぱりなかなか 苦しかったこともあったりしていいことだけじゃなかったかなと 思います。

そして、浅田真央さんといえば なんといってもトリプルアクセルを チャレンジしている選手が多くいたので。 2シーズン続けて 思うような結果を出せずローリーは浅田真央を カナダの自宅に招き自然の中で 2週間一緒に過ごした。 その思いを受け止めて 浅田真央は2年ぶりにトリプルアクセルを 決めたあと舞さん、このプログラム 「アイ・ガット・リズム」本人もそうですが 周りが笑顔になっていくそんなプログラムですよね。

勝負のトリプルアクセル。 このときアメリカの放送局では彼女が7歳のときに オリンピックを目指す世界が、若き王者が心を奪われた。 そして激闘から、わずか ひと月後の世界選手権さいたま。 得点は なんとショートプログラムリンクに入るじゃないですか。 ソチのシーズン 世界選手権を優勝して辞めていたら 今も多分、自分はまだできるんじゃないかなって 思っていたと思うんですよ。 このとき、浅田真央は 最年長の25歳。 三原舞依は 憧れの浅田真央への思いを胸に難病を乗り越え、大舞台に立った。