弟…本格的な女形として人気も 実力も 上げ潮の状態が続いていますことしは 週刊誌を にぎわすことも ありましたそんな つらいときの心の支えは2,000人近い お客さんを前に たった一人で踊りますそして 長三郎君も頑張りますがこの方 かなりのマイペースなのでお兄ちゃん 我慢の限界そして 中村屋ファミリーが 今 はまっているのが♪~七之助さんは 中車さんと共演しかも 歌舞伎界を代表する女形 玉三郎さんが何と 演出を買って出てくれました芝居の神髄を解き明かす 天才の言葉偉大な父 勘三郎さんが こよなく愛した舞台
しかも 私の携帯だ!すご~い!どうやって ロック外したの?信じられない!もう!てっ てっ てっ て~ん!歌舞伎座の8月公演は特別に 納涼歌舞伎と呼ばれるもので新しい歌舞伎ファンを 開拓するべく平成2年に始まりました通常 昼夜2回公演だったものをチケットを安くするために 3回公演にし怪談や新作を上演2年前に亡くなった…当時 2人は 30代半ばと まだ若く歌舞伎座で主役を任されることは なかなか ありませんでしたそのころの歌舞伎座は 今ほど 客の入りが 芳しくなく特に 暑い8月は歌謡ショーなどに 頼らざるを得
勘太郎君の舞台稽古が 行われていたんですが問題が発生4階席まである 巨大な歌舞伎座で勘太郎君 集中できずに つい あちこちを見てしまうのです「真ん中の あの辺りを 見続けて」目印を 父 勘九郎さんが 指定します分かった? ねっ?絶対に大丈夫だから。
演出してくれた玉三郎さんの 言葉を 胸にそして 第一部 2つ目の演目が 勘太郎君の舞踊ですそれが 1?十箇条…「ももたろうのときみたいに げんきで かっこよくやってね」もちろん 長三郎君も 応援に駆け付けましたいよいよ 本番中村 勘太郎お月さまから姿を現したのは臼と きねで 餅をついていた 月の兎盛大な拍手お父さんが見詰めます無事 1人で踊りきりました猿之助さんと勘九郎さんの…2人は 流れるように踊ります華やかですねお父さんが帰ってきましたありがとうございました。
そして 勘三郎さんに 芝居を たたき込まれ何と 3人目のせがれと 言ってもらえるほど目をかけられていました勘三郎さん亡き後も 懸命に修業ことし 早稲田大学を卒業し役者として 人気も上昇してきました鶴松君と小三郎さんは 勘九郎さんと3人で難易度の高い舞踊 『棒しばり』を 踊りますやっとな~!この映像は 珠玉の名演勘三郎さんと三津五郎さんの 『棒しばり』大名が 留守の間に 酒を飲まれないようにと酒好きの家来の両手を縛って 外出しかし 2人の家来は実に器用に 酒を飲み 浮かれ 踊ります笑いのあふれる演目ですが手
勘九郎さんと七之助さんが 到着しました父 勘三郎さんとの 特別な思い出を 胸に香川県 琴平町に 残る 江戸時代の芝居小屋 金丸座有名歌舞伎俳優が出演する 春の こんぴら歌舞伎で知られているのですが実は この こんぴら歌舞伎を 生みだしたのが勘三郎さんだったんです今から 33年前 あるテレビ番組の撮影で…当時は 芝居が かからなくなっていた 金丸座しかし 3人は この小屋の風情をいたく気に入り 蘇らせたいと願いますそして 方々に掛け合い昭和60年 こんぴら歌舞伎を スタートさせました11年前 ここ 金丸座を
小三郎さんは 昭和52年に 中村屋に入門し以来 40年にわたり 仕えてきました♪「ハッピー バースデイ トゥ ユー」中村屋 最古参の お弟子さんといえば2015年に 94歳で亡くなった 中村 小山三さんでした亡くなる3カ月前まで 舞台に立ち続けた中村屋の生き字引にして ムードメーカー平成中村座では 勘三郎さんと2人で 口上お弟子さんとしては 破格な扱いでした中村屋一門 ごひいき お引き立てのほど献身的にしていたのが 小三郎さんでした小山三さんが亡くなった 今中村屋 最年長の お弟子さんです「勘三郎」の3文