タイプライターズ8【ピース又吉直樹&NEWS加藤シゲアキがMC】

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この番組のまとめ

『タイプライターズ』今回で 8回目なんですが。 この 『タイプライターズ』 月1レギュラーに なるそうです。 番組も レギュラーになったんでお二方 レギュラーという形に たぶん なるでしょうね。 今日 台本 読んでさ「俺? レギュラーなの?」とか 思って。 出た人は 全員 レギュラーに していくという方式でやっていきます。 作家的なことは なかったんですか?ドイツを 舞台にして 話 書けるなとか。

NEWS 加藤シゲアキそんな 2人が 毎回 話題の小説家を 招いてお送りする…これまで 名作誕生の きっかけや…小説の書き方テーマの見つけ方はたまた 執筆中の ストレス発散法 などなど…興味深い 小説家たちの 頭の中を のぞき見してきました『銀河鉄道の父』で 直木賞を受賞した 作家…史実と 創作を 巧みに融合させ 歴史小説を 生みだすその頭の中を のぞき見史実っていう 絶対に 動かせないものでどこまで 自分を 縛れるかっていう。

小説家 門井 慶喜会社勤めをする 傍ら 作家を 志し…2003年 『キッドナッパーズ』で『オール讀物』 推理小説 新人賞を 受賞し 文壇デビュー歴史や 美術 建築に 造詣が深く…また 社史を集めるのが 趣味といい史実を 徹底的に リサーチし 物語を構築する 創作スタイルでその作品は ミステリーから 歴史小説までと 多岐にわたる『銀河鉄道の父』で 第158回 直木賞を 受賞したいつも 見てて 思うんですけど。

実際 どうですか? 直木賞って 欲しいって 何か狙ったりとか ありました? 欲しいとは 思ってました。 僕 よく 言うのは基本的に 文学賞っていうのは スポーツで言えば 世界選手権だと。 直木賞 芥川賞は オリンピックだ。 やっぱり それは 頂く方が今後の僕の 作家活動。 あるいは 取材活動にはプラスに なるだろうなとは 思ってました。 テレビに 出てないと 美容室とか 行っても「何してるんですか?」って 聞かれて。

でも 実際 歴史上の人物を主人公にしたことが ないですからね。 執筆の対象となる 史実や人物を 徹底的に 調べあげる 門井さん明治から昭和にかけ 活躍した…数々の西洋建築を 手掛けただけでなく塗り薬 メンソレータムを 日本に広め日米開戦前夜に 日本に 帰化するというその波乱に満ちた 人生を 描いたヴォーリズが 近江兄弟社という 会社をメンソレータムといえば…。 戦前メンソレータムの 現物です。 最初に アメリカから 輸入してたんですけれどもその おそらく 輸入版の メンソレータムと 思われるものです。

というのは 実は 歴史小説の場合には年表を作ることが そのまま普通の小説でいう プロットを 作ることになるんですね。

時は…アメリカの ペリー提督 率いる 黒船 来航ペリーは 幕府に 開国を迫り1年後の再訪を 告げ 帰っていった慌てふためいた 幕府は ペリーを 迎え撃つために門井さんは ここに いったい…こっから見ると 結構 かっちり 造ってあって最近 造ったのかなって 見えるんですけど。 当時 台場建設の 指揮を執ったのは…これは 意外と 当時のままかもしれません。

オランダあたりの 本を読んでオランダでは こういうふうに 海上砲台を 造るらしいぞってこれを勉強して お前たち 造れって 命令をしていくと。 そういう点では 言葉は 悪いんですけどそんな 嫌いな主人公に することないっていうのもある。 無意識まで 下りるんですよ。 意識だけじゃなくて ものすごく 集中することで無意識まで 下りて そこで 自分でも思ってみなかったことが みたいな。 意識が 気付いてない アイデアみたいな感じですよね。

誰かが やったかもしれないけど どんどん 取り込んでいってそれでも きっと 自分らしさって 出るだろうって いつも 思って自分が書いたら その人とは 絶対 違うものになるし同じテーマで 書いても 変わるだろうって 思ってるんである意味 自分を そんなに 信じてないから天恵に 頼れるというか。 使い古された プロットの中で 新しさ 見つけるっていうのは門井さんの 史実を 取り込みながらも自分の小説にするっていうのと 似てる。 自分を プロットで 縛って そん中で。

門井 慶喜 最新刊 『銀河鉄道の父』は詩人 宮沢 賢治の 生涯を父である 政次郎の目線を通して 紡ぐ息子への 愛情と 藤を描いた 意欲作岩手県で 質屋を営む 宮沢 政次郎が出張で 京都へ 出向いていた折 彼の元へ 一通の電報が 届くそう 語り 賢治の進学を 認めない 祖父に対し学業に秀でた 息子の希望を 尊重し 進学を許可さらに 賢治が はやり病に かかった際には病室で 付きっきりの看病の末 自らも 感染金の無心にも 抵抗なく 応えたやがて 自らの元を離れた 賢治は親子でもとかいうところが すごく 斬新と

さらっと 「雨ニモマケズ」 めちゃ 劇団風に「雨ニモマケズ」って 言うのか?ささやくように…。 実際 ホントに 宮沢 賢治が あれを 書いたのも自分が もう 病床に いるときで。 だから 正岡 子規とか賢治とか 何で そんな 体調 悪いときに重いのが 書けるんだろうって いうのができひんなって ずっと 思ってたんですけど。 父は 亡くなってしまったので今になると 申し訳ないなと 思うんですけどあらためて 振り返ってみると 僕は 今回の本を宮沢 賢治が 駄目息子だったという。 駄目息子は 言い過ぎですけど。

ホテル 開業の 17年前に 西洋の 生活様式や マナーを女性たちに教える 施設として 建設されました中でも 三島 由紀夫は ホテルに宛てた 手紙に「東京の真ん中に こういう 静かな宿があるとは思わなかった。

客室は ヴォーリズ建築の 特徴でもある大きく取られた 採光と風通しの よさが 心地よくまるで わが家のような 落ち着いた空間ちなみ 池波は 年末に 年賀状を書くときは数ある 客室の中で最も 文豪たちに愛される部屋がこちらの 401号室池波も 定宿にしていたという この部屋実は ちょっと 不思議な 造りなんですおお! 確かに 不思議だわ。