今日も西城秀樹さんについてたっぷりと 偲んでまいりたいと思います。 西城秀樹さん、63歳。 食事を共にしたフジテレビの 笠井信輔アナウンサーは…。 マルチアイドルの パイオニアだった。 激しい親子げんかのシーンは 話題となり西城さんは本当に腕を骨折し1983年に発表された 「ギャランドゥ」の歌詞を聞いてみると…。 マルチなスタイルは 当時は画期的で今に続く 男性アイドルの先駆けとなり…。 西城秀樹として 1972年にデビュー。
シンガーソングライターでありRAG FAIRの メインボーカルですから西城さんの歌にも 思い入れあるんじゃないですか?アカペラで 「YOUNG MAN」や「傷だらけのローラ」も 歌ってきましたから。 今日は フジテレビのライブラリーに西城秀樹さんの87のシングル曲が あるんですけどそのうち、EPレコード時代の 28枚のシングル盤があったのでなんでですか?まだ、若いころって自分でアレンジできないので 有名な人が歌ってるアカペラをそのまま耳コピして歌うんですね。
6年間、誰よりも一緒に コンサートツアーで全国回ってきましたから今日は、そういったお話も させていただこうと思ってお邪魔に上がっているんですけど 「ホップ・ステップ・ジャンプ」「青春に賭けよう」 「ギャランドゥ」ちょうど 「ブーメランストリート」や「ホップ・ステップ・ジャンプ」 などのジャケットもあるんですけどね。
昭和時代 西城秀樹さんのファッション本当に海外のアーティストの いいものは取り入れていろんな衣装を 取り入れていましたが軍地彩弓さんに話を聞くと 70年代のイギリスファッションの影響を 西城さんは強く受けていたのではないかと。 グラムロックと呼ばれる個性で性別を超えた キラキラファッションということで。 これは行きつけの美容室でなんとなく かっとしたら人気の髪形になってウルフカットと いわれたんです。
ロングヘアっていうのは 同じ長さでロングヘアとかありましたけど このように先をカットした目指してきている方たちは 同じようなヘアスタイルにしてきましたけど。 それも注目されていましたが 今度は、テレビで披露される西城さんというのはアクションですよ。 これも名曲なんですけれどここでマイクアクションを 初めて取り入れたと言われています。
さっきもご本人のインタビューにありましたけどやっぱりいろんなジャンルの 仕事をするんだけどライブが一番なんだっていうここにかけるいろんな情熱がペンライトを 生み出したんでしょうね。 明かりが今日少ないかなとか2位になりましたが 「ギャランドゥ」番組では「ギャランドゥ」論争を 詰めていきたいと思います。 「ギャランドゥ」は西城さんを指す代名詞となっていますけど「Gal&Do」が 「ギャランドゥ」になって。
さて、ファンを愛し 生涯歌手として華やかな舞台に立ち続けた西城さん。 優しくほほ笑む西城秀樹さん。 更に、この写真が 撮影される5日前西城さんは…。 西城さんを囲むようにして ステージに立つ1年に一度開かれている 同窓会コンサートが行われていたのだ。 こう語るのは 西城さんの復帰に向けおよそ3年間リハビリをしてきた後遺症治療の専門家 大明竜八先生。 この映像は、おととし リハビリに取り組む西城さんを病院のスタッフが記録したもの。 大明先生は、西城さんに こんな質問をぶつけたという。
だが、完璧な 「YOUNG MAN」をもう一度歌いたい。 長年、親交があった 歌手の小川知子さんも西城さんのリハビリの様子を そばで見てきたという。 完璧な 「YOUNG MAN」をもう一度歌う。 5曲を歌い終え 最後に出演者全員で最後のステージで共演したこの一体感こそ西城さんが大切にしていたもの。
この日というのは、秀樹さんの 誕生日の翌日だったので西城秀樹さんは 5曲最初に歌ったあとエンディング前に出てきて サプライズでこんな大きなケーキが 出てきました。 秀樹さんが参加される 同窓会コンサートのときは必ず、「YOUNG MAN」が とりを飾るっていう感じだったんですか?一応、取り扱いとしてはアンコールという形だと 思うんですけれども。
加治佐さん、2回の脳梗塞を乗り越えて、リハビリも これだけ頑張ってしかも加治佐さんが目撃されたというか本当に 叫ぶほどのリハビリを越えて頑張っていらしたということで。 国会ではアメリカを除く 11か国で署名したいわゆるTPP11の承認案が衆議院本会議で可決されました。 今年3月に 改めて署名されましたがその承認案が 今日の衆議院本会議で与党などの賛成多数で 可決されました。