[日本海に面する 穏やかな海岸][ここが あの 卑劣な犯罪の 舞台となったのは41年前のことだ]♪~[われわれが 横田夫妻に 残された時間が少ないと 実感したのは 3年前]横田 滋さん。 [病に苦しむ 滋さんは 現在 86歳][だが ここに来て 北朝鮮に 変化が見られている][命あるうちに 娘を 取り戻す][横田夫妻にとって これは 最後の希望と なり得るのか?]残念なものでした。
[だが めぐみさんに関する 有力な情報は[絶望の淵で 何度も 死んでしまおうと 考えた早紀江さんを 思いとどまらせた一本の カセットテープがある][めぐみさん 唯一の肉声が 残っていた]♪「照らしつつ 木の葉 敷きて 倨居する」[繰り返し 練習した あの フレーズも][この歌を いったい 何度 聴いたことだろう?]♪「東空の 白みては 夜の姿 かき失せぬ」♪「ねぐら 離れて 鳥 鳴けば」♪「何処 行くか 流浪の民」[親なのに 何もしてやれないまま月日だけが 冷酷に 過ぎていきました]♪「流浪の民」[めぐみ
石高 健次氏が 韓国の 情報機関を通じて 聞いた北朝鮮の 元 工作員の 証言が 記されていた]きゃっ…。
[滋さんの この笑顔が いつも 家族たちを 励ました][家族たちの思いが 少しずつ 世論を動かした][人の目なんて 気にしていられなかった]横田めぐみさんを 帰せ!帰せ! 帰せ! 帰せ!また 国民の皆さまの 絶大なる 応援がね[日朝首脳会談の 前日 滋さんは 期待を込めて訪朝する 小泉総理に エールを送った][運命の日が やってきた][そのころ 家族たちは外務省の施設 飯倉公館に 集められていた][待合室に置かれた テレビからあの 忌まわしいニュースが 流れてくるまでは][私たちが 最初に 別室に 呼ばれ
[家族たちの闘いが拉致被害者 5人の帰国を 実現させた][カメラが得意な 滋さんは一緒に 闘ってきた 家族たちの再会をわがことのように 喜び シャッターを 切り続けた][必死に 涙を こらえていた]ホンマやね。
ホントに このバッグ もらっていいの?[ひとみさんからの手紙には[曽我ひとみさんと 離れ離れになった めぐみさん][1984年ごろに 別の招待所に 移ったとき同じ集落に いたのが蓮池さん夫妻 地村さん夫妻だった][今回 蓮池 薫さんが北朝鮮での めぐみさんの 生活について 話してくれた][これは 3家族が暮らした北朝鮮の 忠龍里という集落を 撮影した 貴重な写真だ][人里離れた こうした場所で 監視されながら家族たちは 互いを 励まし 助け合って 生きていた]耐えて 生きていくために瞬間の 気分転換って