今日はまずはSMAPや嵐など数多くのトップアイドルを世に送り出したジャニーズ事務所社長ジャニー喜多川さんが昨日都内の病院で亡くなりました。 2019年7月9日午後4時47分ジャニー喜多川は人生の幕を下ろしました。 半世紀以上にわたってあまたの男性トップアイドルを育て続けてきたジャニー喜多川さんが入院翌日には、そろってお見舞いに駆け付けたという嵐の5人。 昨日深夜、木村拓哉さんが中国版ツイッターのウェイボを更新し追悼のメッセージを発表しました。 そして1991年SMAPがデビューします。
また、ジャニーさんと50年以上の親交があり所属タレント全員をYOUと呼ぶことで昨日、ジャニーズ事務所はジャニーさんが胸に抱き続けたある思いを明かしました。 ちょうどフォーリーブスがデビューした年になりますから思いますがその辺りも詳しく小菅さんから伺っていきたいと思いますが先週の月曜日嵐の松本潤さんがジャニー社長の容体を初めて発表されて今あった映像は2011年。
特に言葉使いにはものすごくうるさくてジャニーズアイドルには裏ではものすごく言葉に対しては厳しく言っていました。 竹山さんはSMAP?やっぱり一番接しているというかSMAPの曲は一応、全部CDとか持っていなくても全部体の中に入ってるというのもありますしそれまでの芸能の世界とガラッと変わったというインパクトを小さいころに受けたんだけどSMAPが出てきたことでジャニーさんというかジャニーズ事務所の究極の形がSMAPに集約されているような気がする。
ジャニーズのタレントさんもやはりスタッフ、共演者また裏方さん、技術の皆さんにもとても親切で礼儀正しかったのでジャニーズの方と仕事をするとみんな気持ちがいいというか清々しい気持ちになるというのは昔も今も変わらないんですけど安藤さんはマッチにハマったと。
例えば日本の美空ひばりさんのアメリカ公演を一緒に手伝ったり通訳としてのスキルも発揮したということで日本の芸能界の目に留まったそうです。 国籍は日本とアメリカ両方持っていたことからアメリカの大使館で勤務することができたとも聞いているんですが。 そして、野球が好きだったので自身が指導する少年野球チームから4人を選抜してジャニーズを結成しその野球少年たちがアイドルグループとしてデビューするという流れになってきたんですけれど。 少年野球だったわけですねあおい輝彦さんは。
そういうことがあるしあの人のすごいところは時々、練習していると代々木公園に通路があるんですけどあそこに当時人気のあった子役の男の子たちを呼んだりもっとすごかったのは当時のプロレスの力道山がオープンカーに乗ってたので力道山に、ちょっとだけあそこを通ってほしいと頼んでおいて、力道山がよう、ジャニーと言ってスッと走り去ると。 ジャニー喜多川さん3つのギネス世界記録をまだ保持しているんですがチャート1位を獲得した歌手を最も多くプロデュースした人物。 最も多くのナンバーワンシングルをプロデュースした人物。
滝沢君というのはご存じのように「滝沢歌舞伎」という日本の歌舞伎の和を用いた舞台を彼はずっと追求していたんですね。 日本の芸能界の戦後の歴史をやっぱりジャニーズ事務所がえらい変えましたからね、途中で。 もしジャニーズ事務所がなかったら、日本の芸能界もいろいろなパターンあったけどこういうパターンは生まれていなかったかもしれないので。 さっき生稲さんその辺りのキャラクター構成というのもジャニーさんのプロデュースにあるといわれていましてすぐにデビューさせない。
そのプリンスにないもの例えばスポーツが得意な少年とか親しみのある少年とか西園寺さん、ビジネスの世界に全く共通してるかもしれないですね。 何かをプロデュースするっていうことはヒット作、ヒット商品を1回だけ作るのはできる人もいると思うんですけどジャニーさんのように半世紀、50年以上にわたって…。 唯一残っていたのは肩ごしの横顔だけでこれが唯一、ジャニーさんの若いころの写真だと思ったのが。
その辺りの人を見抜く力とかプロデュース力ですとか一心同体の部分もあるジャニーさんとスターの皆さんですが例えばKinKiKidsの中国でのライブで強い雨の中、長時間開場するのを待っているファンに自ら温かいペットボトルのお茶をジャニーさんが配ったと3年前のお話で出ています。 もしかすると、ロサンゼルスでいろいろアルバイトされてショービジネスの世界を垣間見たときにそんな甘いもんじゃないって肌身でお感じになってやっぱり、この世界で成功するためにはそんな甘いもんじゃないよということを皆さんに教えたかったんですかね。
4年前まで国会議員の私設秘書をしていたという藤木容疑者。 時刻は藤木容疑者が逃走した午前7時半ごろ。 「グッディ!」は藤木容疑者と30年来の知人という人物に話を聞くことができた。 実は4年前の2015年12月にも覚醒剤を使用した罪に問われ熊本地裁から懲役1年6か月執行猶予3年の判決を言い渡されていた藤木容疑者。 去年、執行猶予を終えたとみられる藤木容疑者。 更に「グッディ!」は藤木容疑者の親族という男性にも逃走する藤木容疑者を知る人物によると人脈は広く、どこかに身を潜めているのだろうか。
その様子を見ますと昨日も家宅捜索を行って、それを行う前にそういったものも今、捜査をしているということになるわけで今回、指名手配されている傷害だったりそして公務執行妨害に加えてこの家宅捜索に関しても捜査を進めているということ更には、最新情報繰り返しお伝えしますがということは一時期北へ逃げていたのにまた熊本に戻ってきているということですよね。 そこでどこかに潜伏しようと考えている藤木容疑者が過去に秘書を務めていた議員の地盤。
吉川さん、容疑者なんですがさかのぼることおよそ4年前覚醒剤取締法違反で懲役1年6か月執行猶予3年の判決が下されています。 この執行猶予3年はもう終えているわけですがもし仮に覚醒剤取締法違反で逮捕された場合は執行猶予3年は超えてますが再犯ということでまた執行猶予が付く可能性はあるんですか。 それをダブル執行といいますが執行猶予を受けてその後、執行猶予期間が終わってから出てきてまた新たな犯罪があったときにそこで執行猶予が付くことは警察も動かなくちゃいけないんじゃないかという感じがすごくするんですが。