新説!所JAPAN【全国おでん調査なぜ黒い?静岡はんぺん&おでんつゆ活用料理】

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この番組のまとめ

昔…静岡おでんの代表的な具材…これを作ったと伝えられる漁師ハンベイとはいかなる人物なのか。 なななんと黒はんぺんを作らせたのは天下人徳川家康!?確かにここ静岡は江戸幕府を開いた徳川家康のお膝元。 こちら「駿国雑志」っていう江戸時代後期に書かれたものの復刻版なんですけども。 江戸時代の静岡当時の駿河国の事を記録した書物にこんな記述があったんです。 その書物では「ハンベイ」は魚屋さん漁師さんでもなく「戸川」という名字から侍と考えられ更に磯田先生によればこの侍半平の更なる伝説が静岡に残っているそうで。

忠長は3代将軍家光の弟で祖父家康亡きあと駿府城を与えられ駿河大納言と呼ばれていました。 この忠長に仕えていた半平という侍が作り献上したのが焼いたり揚げたり静岡県民のソウルフードになった黒はんぺんは徳川家との関わりから生まれた食べ物。 滋賀県の名物?そう滋賀県ですね。 おにいさんトレンディだね。 うんトレンディエンジェル。 一般的なこんにゃくの隣で赤こんにゃくが堂々棚を占拠。 吉井さんに電話してみましょうかちょっとね。 赤こんにゃくの秘密を全て教えてくれるというので早速工場へ。

かの天下人織田信長だと地元では伝えられています。 というのも近江八幡は信長が安土城を築き本能寺の変で亡くなるまで6年余りを過ごしたといわれるゆかりの深~い場所なんですが果たして本当に信長がこんにゃくを赤くさせたのか?地元の…あっ授業で?それでちょっと勉強したのを何となく…。 確かに地元の小学校の献立表に織田信長の名前が。 磯田先生はこの説をどう見る?私もね近江八幡の赤こんにゃく最初関西に移り住んで見た時は…。 そして現在も続く信長が安土で始めた左義長祭りの山車にもインパクトの強い赤が目立っています。

えっ?皆さんおわかりですか?おでんを漢字で書くと意外な事実がわかると主張するのは日本の食文化の歴史を長年研究する永山久夫先生。 そこから名前が付いた田楽は江戸時代には茶店の人気メニューに。 戊辰戦争で会津に逃れた土方はこの近くの寺に局長近藤勇の墓を建てこの大変化を引き起こしたといわれています。 江戸時代までの田楽は専ら豆腐。 この煮込み田楽を絶大に支持したある人物がいたというのが永山新説のポイント。