黒柳徹子:右側が今日のお客様です。 黒:今や肉体派司会者と呼ばれてらっしゃる方でいらっしゃいますが、いつもクイズでお世話になっております。 黒:あの時、スポーツのアナウンサーでいらっしゃって。 草:フリーランスになりまして、実は、ですから、1985年に呼んでいただきまして、私と、1年前に、やっぱりTBSに移った、森本アナウンサーと2人で。 『ベストテン』の司会にいらしてた事があるんですよ。 草:すごく印象的だったのは、中森明菜さん、それから近藤マッチ、近藤真彦さん。
ですから、あまり見かねまして、父親が、たまに、朝ですね、「これこれこういう宿題を出しておくから、やっとけ」と言われるんですけれども、家に帰ってくると、共働きで、2人ともいないもんですから、ランドセル、ポンと投げまして、すぐ学校に取って返して、1日中、遊んでまして。 黒:今は、5時になると、家へ帰るみたいな音楽が鳴るので、5時だなってわかりますけど、草:父親も、そういう意味では怖くてですね、ゲンコツがいつも飛んできますもんですから。
中学、高校と、ずっと調子に乗って、田舎の狭い地域ですから、大体トップでいつも走ってまして。 このままいけば全国大会のレベルになるかなと思っておりましたら、高校2年生の初めに、父親がですね、また「お前、そこに座れ」って言うんですね。 何かと思いましたら、お前はいい気になって陸上競技やってるけど、自分は、実はスポーツマンだった…。 実は、彼はですね、若い頃、全国高校総合体育大会、インターハイで、砲丸投げで全国優勝をしたという…。
彼はですね、まず、「とにかく、俺はちゃんと毎月、仕送りをしてやるから、アルバイトもしないで勉強に集中しなさい」という、そういう命令出されまして。 草:これを、周りのね、学友たちに聞きますと、アルバイト行って、とてもすてきな出会いがあったとか、いろいろ聞きますと、やりたいなと思ったんですが、間違いなく本当に、きちんと仕送りをしてくれるんですね。 やるべき事をきちんとやっとけば、いろいろね、部活やなんか、そういう人たちはしょうがないけれども、それ以外、ブラブラしてるんだったら、学校は、授業は絶対出た方がいい。
これはですね、小さい頃から田舎では…、長崎、田舎相撲、とても盛んなところでして。 ちびっ子相撲では、いつも圧倒的に強かったんですね。 草:古里にお帰りになって、アマチュア相撲協会の理事長をなさってまして。 で、行きましたら、どういうわけかですね、前年度代表選手のマエダさんという、130キロぐらいある立派なお相撲さんタイプの方と、私がですね、全勝で勝ち上がっていきまして。
黒:東大、首席でご卒業のあと、NHKのアナウンサーにおなりになったんですけど…。 アナウンサーになれるとも、なろうとも思ってなくて。 不思議な事にですね、その年に採用された16人の仲間がおりまして、アナウンス希望でアナウンサーになったのは1人だけなんです。 いずれも、他のみんなは全部、私のように、記者になりたい、ディレクターになりたい、カメラマンになりたいって、不思議なグループで。 でも、アナウンサーになりましたけど、当然、アクセント、イントネーションは、結構大変。
草:実は小さい頃から、家庭の中で、子どもたちが、お父さんにこうしてほしい、こうしてほしくない、お母さんにこうしてほしい、こうしてほしくない、そういう事を率直に言えるような言語環境を最初に作っていく事。 草:本当に、今にして思うと、父親は、やっぱり子どもをよく見ていて、で、子どもの方向性をいい方向に向けてあげようと、精一杯努力してたんだなという事を…。