そう何度も聞かされていました自宅と原発を隔てる林の中にどうしても行きたかった場所はありました震災後手を合わせる事が出来たのはこの日が初めてでした復興の兆しすらありませんでしたなんか自分が今まで生まれ育った町がどうなっていってしまうんだろうっていう双葉町から南におよそ50キロ離れた福島県いわき市フラガールはこの町で誕生しましたしかし時代は石炭から石油へ炭鉱は閉山に追い込まれました全国から大勢の人がいわきに押し寄せましたハワイアンズは休館に追い込まれフラガールも踊る場所を失いました故郷のために踊り続ける事それ
踊る場所を失ったあの日から駆け抜けた1年彼女たちのステージはまさにいわき復興のシンボルでしたここでは双葉町の住民およそ400人が避難生活を送っています1年になるか2年になるか3年になるかわかんないですけども…。 この仮設住宅で自治会長を務める斉藤宗一さん震災前ホウレンソウ農家を営んでいましたこれは私が初めて作った時の写真です。 斉藤さんのホウレンソウは県知事賞を受賞した事もある双葉町の特産品でした毎年知事賞いただいてな。
避難住民に対する心無い言葉が一部でささやかれていたのですかつては原発事故からの復興を誓い合った同じ福島の人たちでも斉藤さんたちは決して言い返しませんでしたいい勉強だと思っているのが普通の当たり前の人生なのかな。 50年前故郷のために踊ったフラガールフラガールのショーをリニューアルする事になりましたその中に特別な1曲があったのです♪~「決して忘れない」♪~「ふと隣に目をやれば」♪~「同じ気持ち抱いた仲間」♪~「輝く未来はきっとある」♪~「アイナふくしまここにしかない」まだまだそうじゃない人がいる。