こちらの皆さんは岩手県宮古市にある宮古小学校に避難していらっしゃいます。 あの大震災が発生してまもなく避難所に身を寄せた500人近い人々が登場しテレビを通じて連絡が取れない家族や知人にメッセージを伝えました。 大槌町でも一部地域でようやく災害公営住宅が完成。 しかし六串さん宅の建設予定地の野球場は全く手付かずのまま。 気仙沼市の合同慰霊祭。 仮設住宅という不自由な環境での受験勉強。 「教員養成課程201名起立」真由さんは第一志望の教育大学に合格したのです。 気仙沼市の梅野紘平です。
梅野さんと一緒に児童養護施設旭が丘学園を訪れたのです。 残念ながら2人のお友達を亡くしたけれども絶対絶対またのぞみ福祉作業所が復活してああっ…!なかなか上がって来たいと思ってもとてもつらすぎて…。 29年前この障害者支援施設を立ち上げ長い間所長を務めていました。 あの日誓ったとおり2か月後には作業所が再開。 のぞみ福祉作業所元の姿に戻りました。 最近仕事が忙しくて作業所はちょっとご無沙汰。 しかしそこに作業所に通っていた我が子の姿はありません。
釜石で自動車整備工場を営んでいた菊地さん。 あの時安否確認を呼びかけた行方不明の社員2人はどうなったのでしょうか?がれきの中から奇跡的に見つかった看板です。 中小企業の復旧を支援するグループ補助金を利用しますが1億円は自己負担です。 工場完成後は一日も早く短時間車検を立ち上げ皆様のご支援にご恩返ししたいと考えております。 定期的に全社員で避難訓練を行う事にしました。 あの日行方不明となった社員に肝を冷やした菊地さん。 南相馬市から来た西村京華です。 一昨年2月内部被ばく検査を受けた京華ちゃん。
除染しても再び放射線量が上がる場所があるのです。 放射線量は毎時0.15マイクロシーベルト程度。 その多くが避難区域から引っ越してきた園児です。 大井川さんのふるさとは福島第一原発のある双葉町。 全域が避難区域になり役場機能は埼玉県加須市の高校跡地に移転。 避難生活のストレスから体調を崩しました。 この頃大井川さんに大きな転機が…。 大井川さんはある覚悟を決めていました。 埼玉県加須市。 このアパートが大井川さんの新たな住まい。 突然涙ぐむ大井川さん。 防護服に身を包みかつての双葉理容に入ります。
運送会社を経営していた菅原さん。 あの日配達中だった父に代わって会社を守っていた恵美さん。 あと10年頑張ります!業績は震災前の8割まで回復しました。 うーん…まあ…住宅建設早期着工をお願いしたいと思います。 及川さん大島へ行く?大震災から3年77歳になった菅原さん。 ついに売り上げは震災前を上回りました。 しかし高台の集団移転先はほとんど手つかずの状態。 長女夫妻が暮らす東京に引っ越す事を決意した熊谷さん。 熊谷さんと佐々木さんは県立高田高校の同級生。 大船渡や陸前高田でボランティアガイドをしています。