徹子の部屋

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この番組のまとめ

でもまあ18歳で全然言葉ができなくてお一人でスウェーデンから日本にいらして26年。 色んなご家族とのことがあったり色んなことあるんですけど日本のおばあ様のこととか色んなことお伺わせていただきます。 とにかく18歳…18歳でスウェーデン人のお父様日本人のお母様のところから日本のおばあ様柴又にいらしたんですって?そうなんです。 葛飾の立石ですね…にいまして「ライブハウスピーコ」というライブハウスをやってまして…。 やっぱりあの時代を覚えている方が多くてこの「ライブハウスピーコ」で一番最初に歌を歌ってたりとか。

まあホームシックには多少はなりますけど私日本が大好きで。 日本人が大好きで。 とにかく日本語をだんだん覚えていったんだけど日本語の中でどうしても言えないような言葉っていうの本当もう18からテレビを見ながらおばあちゃんに教わりながら覚えた言葉なので。 そこで色んなことが繰り広げられるっていうのは非常にいい言葉ではありますけど難しい?「ゴメニャイアソバセ」ってねなんか違うんですね。 「ゴメニャニャアソバセ」って違うって…。 でどうしてもこんがらがる言葉とか…洗濯機がミシンになるんですよ。

さてさて初めに波瀾万丈と申し上げましたのはでも最後まで仲良くなれずに親孝行もできず本当に申し訳ないなって…。 なんかお母様は…お父様とお母様は仲が悪かったりなんかしてあれしたんですけどもお母様もあなたに…例えばお母様のお誕生日にあなたとお父様やなんかでお祝いしようとすると「みんな外行って」ってお母さん仰ったんですって?なんかもう「一緒にいるのも嫌だ」とか「産んだ覚えはない」とかそういうことを言われてたのであまり母親の愛情みたいなものを…。 それでスウェーデンへ行って機械設計士に…。

それであなた新しいお母様とすごくうまくいっちゃってるんですって?平均大体1メーター80ですかねとかって話して。 今写真見てもお父様もねお母様も大きい。 本当のお母様とそういうふうに折り合いがね…。 本当のお母様もお気の毒でしたけども。 だからブリットさんに「みんな日本に来てくれないですか?」って言って。 私全部プレゼントしたかったんですよ。 屋形船もね?屋形も…飛行機代とかも全部やりたくて。 私全部やりたかったのにと思って。 もうそこから大慌てでハリウッドスターが泊まるようなホテルを予約して。

だからすごい色々ねやっぱり悩んじゃって壁に何回もぶつかってどうしたらいいんでしょうってそういうこともあったりとかなんか…優しくできなかったのかなというのもあるんですけれどもやっぱり今まで母親とのこと家族とのこともあったので子供を産むとかそういうことがもし私…やっぱり遺伝…半分母親から絶対引いてるわけですから子供を産んだ時に母だってそういうふうにしようと思ってやったわけではないので。