不安だったんですけども僕ポジティブシンキングで前向きなほうですから絶対うまく逃げてくれてるなと思ったんですが…。 そしておふくろから預かった色んなものをお届けするからって言ったんだけどすごい地震なのでこれは…お義姉さん行けそうにないからって電話があったんだけど東京もすごい揺れてたんで「喜代美ちゃん何やってんの!今から早くもう逃げなさい!」って言ったんですけどその後うちのすぐ下の弟と一番下の弟の家にもやっぱり電話してますからたぶんあの段階でもう3時を回ってたと思うんですよ。
でまあ翌日本当は…それこそBS朝日の仕事があったんでこれ何が何でもって…僕は17時間かけて東京に戻ってまいりました。 「イクンシマ…もう最悪のこと言って悪いけれども可能性は少ないかもしんないよ正直言って」頑張って放送することが役割だよ」っていうようなことをねアッコさんに言われたんですよ。
その後6か月後に遺体確認できないままに妹の連れ合いの実家でお葬式をあげたんですけど。 義理の弟はいまだに遺体確認されていないんですけれども。 なんとその遺体確認の知らせが宮城県警から届くんですよ。 おふくろはね…「東京に来たら?」って言ったんですけど妹夫婦と気仙沼で暮らしたいということで。 僕は一生懸命…介護もしてくれたので「じゃあ夫婦そろって海外旅行でも行ってきたら?」って言ったらねもう妹はたっと断って…「いやいやもう近くの温泉でいいです」って。
さすがにね海のそばに暮らしていてもねあれだけの大きなね地震と津波はね正直言って来ると…想定外って言葉がね…。 昔本当に体重80キロぐらいありましたから。 弟さんもねニュースやってらっしゃるんですね?やってるんですけどその時僕は大学受験をやはり諦めましてですねやっぱりそんなに裕福じゃなかったものですから。 でそして「将来は国際化の時代が来るからもうアメリカでもヨーロッパでもブラジルでも好きなところに行け」と。
それでもう自分で勝手に大学を休学してアメリカに行って試してみようと思いまして。 家に帰って「これから僕1人でアメリカへ行って武者修行してくるから」って言ったらね…何でも「大丈夫大丈夫」のおふくろがねその時ばっかりはですね泣きましたね。 親としてね息子2人をラジオで聴けるなんてね母親冥利に尽きるって喜んでまして。 ちょうど危なくなった…そうですね考えてみると…うちのいとこがうまい具合にお見舞いして携帯電話をおふくろに渡してくれて。