私初めて拝見した時に関西弁でバーッて仰った時にはい。 最初あの…ちょっと時代も違うし明治時代の生まれの役だったので勝手に敷居を渡って…敷居を踏んで入ってくるとかねそういうことにちょっといちいち文句つけるっていう小姑の役でしたので。 ああいうふうに関西弁でいきなりやられるとやっぱりさすがのめ以子さんもちょっとねたじたじとなるんですけどあれを拝見してて私本当に気持ちよくて。 でもあれ船場言葉だったんでやっぱりすごい大変でした。 しかもこの間随分話題になった同志社大学の…。
いけずな役をやることになった”という電話がかかってきました」「全国で流れるドラマだし反応を心配していたようだったけど緑子がいけずな子やないのは知ってる」「今までも一生懸命やってきたんだから徹底的に作者さんや監督さんの期待に褒める言葉しか聞かないので心配はいりませんでした」そういうご感想をお父様から。 キムラ緑子さんは歌も大好きで『ベストテン』も見てくださってたそうですけどもオーディション番組なんかも受けたりなんかなすったんですって?はい。
「子供の頃からリーダー気質」「子供の頃から母親譲りな朗らかな性格」「おばあちゃんも褒めるほど利発な子だった」「小学生の頃は母親も仕事をしていて忙しく2つ下の弟を叱ったり面倒をよく見ていた」「小学2年生くらいの時田んぼ道で近所の子供たちを並ばせて1列に歩く先頭に立つ姿を今でも覚えている」嘘ですよ!そんな。 みんなが開放しましょうみたいなワークショップがあったのを友達に誘われて。
「初めは一回だけと言ってたのに塾も全部後始末していたのでびっくりした」「食べていけるか心配していた。 でもその時にあなたもしかしたら淡路島で結婚しようと思ってる人もいて一生懸命貯金してたんですって?はい。 すごい好きな人がいて結婚しようと思って一緒に貯金してたんです。 一緒にね郵便貯金をずっと毎月ためてたんですけど…3年間の間ためてたんですけど。 私が「もう行く!京都行ってもう一回お芝居を始める」ってなった時にその郵便通帳とカードを黙って私に渡してくれて。
でもそこで離婚届をちゃんとお出しになったの?はい…。 結婚届もお出しになったんだけど離婚届もお出しになって。 同志社でお会いになってから現在までもう何年ぐらい…?一緒にずっと芝居のことで。 離婚してても一緒にものをつくるっていう相手だからなんかすごい必要だなって。