徹子の部屋 古舘伊知郎

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この番組のまとめ

古伊知郎さん今日のお客様です。 本当毎日ね気の張ることがいっぱいあるんですもんね。 一時政治家を目指したらしいんですけども学徒出陣で兵隊で戦争行って帰ってきた時にはもう食うや食わずになってそれどころじゃないっていって政治家への道を諦めたようですけど。 「疾風怒濤の活躍だなこの横綱は」とか。 だって八百屋さんに買い物行ってその後魚屋さんへ行って回ってきたってはっきり覚えてんだからもう一回ここで再現しようか?」ってものすごいんですよ疾風怒濤なんです。

でもその苦手な子がアナウンサーになろうと思ったのはなんで?たぶんだから家庭内で僕も喋りが好きなのに一番喋り下手だって決めつけられたことに対する反発。 で大学ぐらいの時に神宮球場に行って…六大学の立教大学だったので僕は神宮行って。 勉強で負けて野球でも負けるっていう屈辱的な状況が続いてる中でその時僕偏向放送をしたんですね。 平凡なライトフライなんですけど「打った!大きく弧を描いている!」「場外ホームランか?神宮の杜へ!逆風が吹いた」「どうした?ハプニングだ。

だからもう本当全部読みきれなくても見出しから始まって読み比べるんですね。 このご家族の写真は本当にお母様が明るく笑ってお姉ちゃんも笑って。 それはそれぞれ年をね取ってくるとみんな肉親と別れなきゃならないっていうことありますけれども婦人科系統にも転移しまして42で旅立ちまして。 お父様会社の社長ですよね?サラリーマンだったですけどもね。 76ではありましたけども父親も結果心筋梗塞でことっと。 その時もずーっと本当にこれはもう…「親孝行したい時に親はなし」ってならないようにってあっそうなの。

クリスチャンで日曜礼拝に毎週行ってまして。 どういう…?例えば幼稚園から帰ってきた時とか小学校も昔土曜日半ドンっていって昼で帰ってくる。 ちょうどNETで昼すぎに大宮敏充劇場ってデン助さんの劇場を浅草から…。 僕はもう力道山のプロレスの大ファンで200人分ぐらいの外人レスラーの名前も覚えて…。 小学校低学年で。 おふくろがイングリッド・バーグマンって言うと僕がヘイスタック・カルホーンってレスラーの名前を言うんです。

だから徹子さんもその当時そうやって映画を本当に枯渇してる時にむさぼるようにご覧になってそれがまた素地になってNHKの生放送のドラマとか全部つながっていくんですかね?そうかもしれませんね。 こういうふうにちょっと伊知郎の部屋っていうことで逆にインタビューさせてもらえませんか?どうぞええ。 徹子さんにNHK揺らん期の話を聞きたいんですよね。 こういうハイテンポで畳み込む喋りでうけるんだとか色々勉強しました。

今の脳?どこ?機能的にどうだったの?普通女性脳…。 右側にバックアップの小さな言語野がありまして女性の場合は。 だけど僕の場合は右の言語野も女性脳を超えて大きめなんです。 ここのかけ橋が…言ってみれば木更津と川崎結んでるアクアラインみたいなね。 『トーキングブルース』はそこのEXTHEATERROPPONGIで。 なんか聞いたらちょっとこう…カメラ席を一部潰して席を拡充したみたいなので当日券がございますので若干。 多少当日券があるようなので。