徹子の部屋 内藤剛志

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この番組のまとめ

どなたが?ロンドンのね古着屋みたいなところで洋服作ってる女の人がいて洋服作ってて今日考えたらそうだこれ着てないからねお洋服と一緒に着ましょうと思って。 二十歳の朝。 だからさっきもちょっとお話ししましたけどお芝居をするのにも今別に自信があるわけじゃないし僕60ですけど二十歳の朝と一緒です今でも。 ですから何にもうまくもなってないしですからまた二十歳の朝劇団に行く前にドキドキしてて今日うまくできるかなというのとあんまり変わんないですよ。 それで関西弁だっけ?山中先生。

「さて内藤剛志さんは小さい時ちょっと問題児…」「どんな問題児だったの?」「一人っ子なんですよ」「一人っ子でですねちゃんとものが喋れないとか乱暴であるとかっていうようなそういうちょっとこう…“何?こいつ”っていう感じの子供だったみたいですね」「自分の世界に閉じこもってる子だったような気がしますね」「へえー。

ですから小学校4年生の時にちょっと郊外から本当に…東京でいうと銀座のようなところに転校してきたんでちょっとうまく友達とできなかったということが問題児というか。 お父様NHKのテクニカルディレクターでいらっしゃいまして…。 あっそうなの?じゃあ関西弁得意…。 全然いまだに関西弁。 でもあなた何かの最後の時に「ちょっと関西弁でやってみようか」って言って沢口靖子さんか…。 お母様は元気な方ですごい昔に車の免許をお取りになって。 えー!お母様?そしてついに免許返上と。

色々撮影してらっしゃると雨男とか雨女とかあそこで食べ…電話がかかってくるんですね。 満蒙開拓団に…。 要するに日本から開拓に行ってる人たちが…。 日本が…何ていうんですか?そういう…向こうへ行ってね開拓せよと。 長野県の阿智村っていうとこなんですけど250名ぐらいが…国策ですから行くわけですよ。 自分の奥さん子供たちを亡くすんですけど日本に帰ってきて生涯その残留孤児を支援して会いに行ってる。 その子たちがいわゆる残留孤児になるんです。 阿智村の長岳寺っていうとこのご住職なんですけど。

ちょっとその映画見せていただいていいですか?「五族協和の精神を向こうで実現する学校の教師は先生様しかおらんたい」「皆さんを教えてくださる山本慈昭先生のお話があります」「見てのとおりこの学校以外は何もかも焼けてしまいました」「お父ちゃん!」「生きてるじゃないですか!生きてるじゃないですか!」要するに死亡してないんですけど行方不明になってる人間は戦争が終わった時点においては死亡とされてるんです。