まあお可愛らしいお二人ですけども13歳の年の差カップルでこのあと大変な20年が待ち構えてるなんて考えてもいらっしゃらなかったご主人のお母様の介護っていうのも随分伺いましたけども。 新婚旅行に行く予定だったんですがなんか朝由美子が「廊下でドタンッと音がしたわよ」って言うんで成人病?はい。 だけどお母様それまでお食事のことやなんか全部やってくだすってたんだけどそういうことがあったから全部お母様やらなくていいようにしたのもちょっとあとで考えると…。
だから病院の先生もおふくろにとっては大変な救世主。 由美子もその救世主の一人だったわけですよね。 だからおふくろが由美子を非常に大事にしてくれるのは僕はとっても幸せだったんです。 随分大変って仰いましたよね?だから本当に子育て…二十歳になるまで。 だからもう本当子供をなんか3人ぐらい育てたようなそんな感じですね。
だからそこはもう本当に湯原さんに話を聞いてもらって時々プレゼントをしてもらってっていうことしかないんですよね。 で子育てと介護が同時進行で大変ではあったんですけどでも人が生まれてこういうふうに老いていくっていうことをやっぱりそこで学びなさいっていうことだったのかなと思います。 でも認知症が本当にすごいものだなと思うのは隣のお家のたぬきの置物をあなたのことをあとつけてる若い男だとどうしても仰るのであなたお母様をお連れになったんですって?そのたぬきのところへ。
だけどこれ以上はできないから施設に入れるんですよというふうに説明はあなたが…。 ご本人に今度それを言うのが大変でしょ?それはどうでした?それは何度か見学に行ったりして少しずつ施設というもの…。 施設といっても普通の病院だと思ってるわけですよね。 でも施設に入りますと毎月カラオケ大会があったりあとはおぐしを奇麗にしてくださる美容師さんがみえたり。
由美子がおふくろを見てくれてちゃんとみとってくれた。 そこはもう本当にあんなに長いこと認知症だったのにもう最後に…亡くなる前の日におでこと頬をなでてなでて。 本当ですね。 それで由美子に感謝の気持ちをちゃんと述べました。 だからどんなにおつらいことが20年あったにしてもやっぱりそういう最後の時にねあなたにありがとうってそういうふうにねごめんなさいねって仰ってそうやって顔をずっとなでてくださったっていうことがあったっていうことになるとねやっぱり人間は最後は大事だなって思いますよね。 本当ですね。
それでもう湯原さんが仕事行くともう5分ぐらいすると「今日何やってる?」「どうする?」「何かやりなさい」って…。 子供も大きくなってますし湯原さんは相変わらず仕事出かけますし。 でもそれがおわかりになったんであなたは夜になるとワインタイムみたいなのを考えたんですって?1年間僕ワイン学校へ行ってワインをちょっとお勉強して。 僕が今度由美子の寝顔をねおしっこをした帰りにぱっと見た時にこの子は俺じゃなかったら…。 ディレクターが突然にこの歌を持ってきた時にはびっくりしました。
毎日そうやってワインタイムで4~5時間色んなお話しなさるし。 で奥様知らないうちにちょっと料理学校なんか行ったりなんか…。 料理学校。 お料理学校いいわね。 料理学校にしましょうね。 僕も含め子供も含め最終的におふくろをちゃんとみとってくれて本当に心から感謝してるしこれからはなるべくあなたの世話になるのを遅らすように努力して生きていきたいと思ってます。