「私が尋常小学校を卒業して東京へ出たのは昭和10年の春の事です」「兄弟6人のうち上の4人は皆どこかへ奉公していたから私も行くのが当然だと思っていました」「農村の口減らしに娘が女郎屋へ売り飛ばされる事もあった時代で村で評判のかわいい娘のところへ芸者屋が買いに来る事もありましたが私はちっともべっぴんではなかったのでそういう話は来なかったし親類のつてで行くところも決まっていました」おばあちゃんいいよ。
その翌年の桜の散る頃先生の奥様の紹介で時子奥様のお宅に奉公する事になりましたじゃああなたの事タキちゃんって呼ぶわね。 おてては拭きましたか?今日会社で話題になったんだけどな次のオリンピックは東京でほとんど決まりだよ。 対立候補はヘルシンキだが東京はあんなのとは比較にならないぐらいの大都会だから絶対に有利だ。 アジアで初めてのオリンピック開催地となれば競技場は建設される…。
それを聞いた麻布の奥様が慌てておいでになったこの辺の名前もないような公立小学校に入れてしまったら上級学校への進学は無理だわよ。 でもお姉様のところの正人君だって小学校受験はしなかったでしょ?受験はしなかったけどうんと早くに申し込んだわよ。 本郷の誠之青山の青南麹町小学校番町小学校それから正人の行ってる白金小学校。
そうだろう?南京じゃあ大虐殺が起こってるっていうのに東京では戦勝大売り出しのアドバルーンがデパートに上がったり祝南京陥落の垂れ幕が下がったりしてたって事だろ。 勝手口の扉から道に置いたゴミ箱まで雑巾で拭いたものだったお年賀のお客様のために応接間のテーブルセッティングお玄関には松の盆栽名刺受け代わりのお盆を置いておく大晦日の夜やっとおうちの事が片付いて旦那様と奥様にご挨拶をしたら私は女中部屋に戻りそっと風呂敷を開く奥様から頂いたお下がりの銘仙が入っている大紀俺も!いいよ!あなた板倉さんという方が。
「SOS!」「ああタイタニック号!」「イギリスの汽船タイタニック号は山のような氷山に衝突」「2223人の人を乗せたまま大西洋の底深く沈んでしまいました」大丈夫大丈夫…。 ストコフスキーだ指揮者は。 あの映画ご覧になった?ディアナ・ダービン『オーケストラの少女』。 指揮棒を持たないのがストコフスキーの特徴なんですよ。 私近頃時々イライラするのよ。
恭一君はきっと好きなはずですよって板倉さんからのプレゼントよ。 あら板倉さんと?会場でばったりお会いしたの。 音楽会が終わって資生堂でコーヒーを飲んでその帰り銀座の近藤書店でこれ恭一君にお土産って。 まあ!奥様板倉さんです!あらどうなすったの?ご主人は藤沢の工場にご出張でしたが…。 板倉さんは応接間のソファで休んで頂くわ。 板倉正治。 あんた頭がいい割には想像力が貧困だね。 頭のよさと想像力の豊かさを同じように考えるのが間違ってるんだ。
「田舎を出てから5年結婚適齢期の私に縁談がきた」おお~。 相手は私の郷里の中学の先生立派なインテリゲンチャだが年は50過ぎ子供は3人すでに孫もいて3回目の結婚だというストコフスキー…。 旦那様の会社は金属製のおもちゃを諦めて木製や紙製に主力を移し始めていたそのうち家庭内の鉄製品も回収する事になるらしいよ。 女学校出の美人が結婚したくてうずうずしとる。 兵隊検査はどうだった?僕は気管支が弱くて目も悪いから丙種でした。 早く結婚して子供をどんどん産まなくちゃ。 早く結婚してバンバン子供を作るんだ。
板倉さんのお見合い?うん。 板倉君は兵役検査が丙種で兵隊には取られない。 常務夫人なら君は母親代わりだ。 今度の日曜日あたり板倉君呼んでおくからお前話をしてやってくれ。 次の日曜日ひどく蒸し暑い日の午後に板倉さんはシャツの袖をまくり上げてやって来たタキちゃん。 よしんばアメリカが参戦するとしてもまずはヨーロッパ戦線で英国を支援するのが先決でとても太平洋までは手が回らんだろう。 ただアメリカは支那からの日本軍撤退を要求しているらしい。 板倉正治さんはこちらでしょうか?ええ。
今度の見合いは業務命令だ。 なんだ?業務命令だなんて…。 睦子さんは奥様の親友で男のような人でした時子さんどちらへお出かけ?板倉さんのところに。 時子さんの結婚が決まった時自殺しかけた人もいるの。 でもこんな話私たちがした事内緒よ時子さんには。 それからひと月ほどの間に奥様は目に見えてお痩せになりました11月の土曜日の夜久しぶりに板倉さんがおいでになりました実は今朝の新聞に出ていましたがこの度の聖戦では僕のような丙種合格者も召集される事になりました。
去年以来アメリカの経済封鎖でくず鉄も石油も来ない。 輸出のほうはヨーロッパもアメリカも日本製品はボイコット。 支那との戦争が片付かないからまだまだ購買力はない。 いよいよ戦争だよアメリカと。 ついにアメリカとの戦争が始まったんじゃねえか。 この際徹底的にやっつけたほうがいいんだよアメリカなんて生意気な国は。
今戦時中なのよ!お前時子の毎日をよく監視しててよ。 トンカツ食わせてくれる店があるんだ。 昭和18年の暮れにはほらあの有名な神宮外苑の出陣学徒の壮行会。 今度トンカツごちそうしてやってよ。 うまいんだこのおばあちゃんのトンカツ。 主人は藤沢に出張でまだ帰らないんだけど。 主人が出張であなたが今夜は帰れないと言って嵐の夜に来てくれたじゃないの。 いついらっしゃるの?本籍地の軍隊に入営する事になるからあさっての夜には上野を発たないと…。 あっ…タキちゃん懐中電灯差し上げて。
しかし板倉さんはその日おいでになりませんでした日の暮れるまで待ち焦がれる奥様に私は声のかけようもありませんでしたそして坂の上の小さなおうちの恋愛事件が幕を閉じましたおばあちゃん?どうしたの?その日からしばらく奥様は生気を失ったようにぼんやりされていました戦争はますます厳しくなりそれじゃあ奥様。
「イタクラ・ショージ1944年出征」この絵の事で何か?この絵にはモデルがあるんですか?東京の大田区にあった平井さんのお宅だという事はわかっています。 えっと…3年ほど前に平井さんの息子さんと連絡がついたのでお手紙で問い合わせましたが昔の事なのでよく覚えてないってご返事でした。 「今日のお昼過ぎ1時頃にお訪ねくださいませ」「どうしてもどうしてもお会いしたく思います」「必ずお訪ねくださいませ」「板倉正治様平井時子」どういう事なの?ああ…。