徹子の部屋 島田洋七

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この番組のまとめ

さて今日のお客様は前から人気がおありでしたけど何といっても『がばいばあちゃん』の大人気でもうご本は売れる芝居になる何になるってもう大変な人気でいらっしゃいます。 初めは自費出版で本をお出しになったんだけどそのあと『徹子の部屋』でお話しになってそれでもう本当に泣き笑いのお話で素敵だったんですけど。 まあ本当にいちいちなさること全てがとても面白いお話でして。 「歴史の時間歴史のテストがあるからばあちゃん何て書いたらいい?」って。

「カルシウムやけんたべんしゃいといってばあちゃんは魚の骨をかなり太い骨までおれにたべさせた」「それでもぜったいにかみくだくことができないようなかたい骨は茶わんにいれて熱湯をかけお吸い物がわりに飲んだ」「さらに残った骨はくだいてニワトリのえさにした」って。 さてそこのとこまではとても大団円だったんですけどあなたの奥様のお母様がご病気におなりに…何ていうか介護が必要っていうことになって。

だって何にも頼りも…誰も知ってる人もいないのに佐賀からいきなり東京行くっていうのは。 でもやっぱり東京行ってみたいっていう気持ちは…。 そうなの?その頃本当新聞読んだら募集してたら佐賀とか広島じゃ500円とか700円日当。 東京はなんかすごかったですねオリンピック前かなんかで。 そのあまり走ってないはずの電車に乗って東京にいらっしゃって。 それからまあ…大阪の先輩野球部の先輩に電話して今東京来て何していいかわからんと。 今度大阪まで来いって?はい。

でもあとから聞いたらお義父さんは「許さん」って言いながらも家出して1か月ぐらいの時に「布団送ったれ」とか言うてたのはお義父さんらしいです。 あちらのお母様とあなたはどうだったんですか?お義母さんはもう最初から会ってもらってたんで。 だからそのあとも売れたりしてももう年に何回も東京のほうにお義母さん来てましたからね。 このお義母様?そうお義母さんですね。 でもこのお義母様がお倒れになった?そうですね。 嫁さんに黙って僕はちょこちょこちょこちょこ佐賀行って土地を探して家を建てて。

実家や介護施設に近いところへ家を建ててくれたおかげで14年間思う存分母の介護ができました」「小さい頃から病弱だった私を両親は大事に育ててくれたのに21歳でおとんと知り合って駆け落ちしてしまい両親には随分と迷惑を心配をかけました」「その親不孝を取り戻し母との絆を深められ介護を十分できたのもおとんが引っ越しを決意してくれたおかげだとすごく感謝しています」「おかげで母の最期もみとることができました」「ありがとう」「私達も高齢者になり介護される側になるかもわかりません」「これからもお互い笑いの絶えない人生でありま