イギリスは左側通行だったものですからイギリスの植民地だったところもみんな自動車は左側通行になったという事なんですね。 日本と違ってイギリスはこんな理由で左側通行になっていた。 それは西暦1300年にローマ法王が「ローマ巡礼の道は左側通行」と定めたものを守り続けているからと言われています。 でもイギリスの植民地でもない日本がなんで左側通行に?だったと言われているんですね。 あるいは西日本から東日本に引っ越すって時大変でしたよね。
皆さんは何かこう普段からこれって日本だけかなって思ってる事ってありますか?あれもともと軍隊の背のうって言って軍隊の兵隊さんが歩兵が歩く時に後ろに色んな荷物を積むものとしてオランダから入ってきてオランダではねランセルって言ったんでそれがいつしか日本風にランドセルって言い方になっちゃってそれがそのあと明治の時代に学習院の通学用のカバンとしてこれが正式に採用されたそうですね。
会社員ですと毎月毎月一応10パーセントぐらいずつ源泉徴収税金が引かれるんですが。 つまり納税は楽な一方会社員の多くはやはり現代を表すキーワードはこれではないでしょうか?インターネットは実は意外な事が関係していると言われている。 はいどうぞ~!深夜の電器店の前に大勢の人が集まりWindows95というパソコンソフトが発売された。 すると企業や観光地などのホームページが出来始めパソコンで検索して情報を集める事が出来るようになった。
これだと後ろに…後ろにプリンターがついてて印刷出来るんですよねその場でね。 これは便利なんだけどここで印刷出来ないわけですよね。 なんでインターネットの普及とソ連崩壊が関係しているのか?それを全国のコンピューターと結ぶという他のコンピューターは全部生きている。 こうなれば核戦争になっても戦えるよねといってアメリカが密かにこの軍事技術を開発していたんですね。 軍事ネットワークの開発には大学の研究者も数多く関わっていたためまず大学のネットワークが発展。
その後爆発的に普及した携帯電話。 僕ら阪神・淡路大震災の時に有線普通の電話がみんな使えなくなったのにどうしてか?当時まだ携帯電話使う人が少なかったものですから電話回線に余裕があって携帯電話は繋がったよねっていう事になって。 さあじゃあ携帯電話を持とうという事になったんですね。 ところがみんな携帯電話を持ったものですから東日本大震災の時には全然通じないっていう事になったという事があるんですが。 1994年から携帯電話が売り切り制に。
さらにヤミ市では戦後の日本人のしぶとさが見える戦後のたくましい日本人は兵士の必需品だったものを日用品に作り変えた。 えっ違うんですか?思いますよね?日本の終戦記念日8月15日。 こうして日本は降伏文書に署名。 というわけで日本では玉音放送が流れた8月15日を終戦記念日としていますがアメリカなどでは日本が降伏文書にサインしたソ連軍がそのあとどんどんどんどん南までやってきて北方領土をずーっと…どさくさに紛れて9月2日までにこれを占領しちゃうんですよ。
「オリンピック大会のために東京周辺は一新しました」「いずれもすばらしいものです」「しかし同じ東京に住んでいながら私たちとは縁遠いものばかりです」「私の働く工場は隅田川の支流の一つ十間川沿いにあります」「川の水はどろどろでごみが浮びガスの発生で目や鼻がいたくなるほどです」これもまた当時の日本の現状だったという事なんですね。 高度経済成長時代の日本東京の町はどんな様子だったか当時の映像があります。
1960年代東京オリンピックが決定した事もあって経済が大きくなりさらにものを作る。 それらに真剣に向き合うようになったのも高度経済成長があったからなのだ。 このオイルショックをきっかけに政府は色々見直す事に。
オリンピックで…だけで高度経済成長ってわけにはいかないと。 それを公開捜査で本格的に取り入れ本気で怖かったんでしょうけど誘拐魔が来るっていう今あんまり聞き慣れない誘拐魔っていう言葉は子どものお説教の中には必ず出てきました。 さあそして身代金誘拐の後押しするようになったものがあったと言われています。 テレビと同じようにこの時代に広まり出したものが身代金目的の誘拐を引き起こした?なんでしょうか?最近どんどん町から姿を消しているものです。 つまり身代金を要求するには公衆電話を使ってでも現在はあまり聞きません。
学生たちの怒りは頂点に達し占拠したのが東大安田講堂だった。 そして占拠された安田講堂は全国の学生運動のシンボルとなり世の中に不満を持つ学生たちが集結。 その頃活動してたおじさんたちに話を聞くと飲みだすとよくよく考えればえ~っ!?なぜ学生たちはあんなに熱く怒っていたのか?それはみんながこちら所得倍増計画これから皆さんの所得を倍にしますという経済政策をし高度経済成長になっていく。 実際に学生運動に参加していた人に当時の気持ちを聞いてみた。
学生運動やってたんですけどいざ就職活動になったらしかし60年代にこんなに熱かった学生運動。 という事になって全国で学生運動が一気に下火になりますしなんとなく学生運動を支持していた人たちも…。 それ以来成田空港を潰そうという過激派がいるもんですから1980年代突如として起きたブームがあった。 1989年末日経平均株価が史上最高値を記録。 そして当時株価とともに異常な値上がりを見せたのが当時は世界中に日本製品が出回り経済も急成長。
しかしアメリカからは…。 そう!全て意図的に行われていたって知ってましたか?これはなんと当時のアメリカは本当に経済が不況だったんです。 アメリカ経済やっていけない。 なんとかアメリカを…。 そこで1985年アメリカ経済を助けようと先進5か国でこんな話し合いが行われました。 そんな時代でも世界経済はやはりアメリカドルが中心。 悩めるアメリカを助ける事に。 考えてみればアメリカの勝手な都合ですけど。 アメリカ経済をみんな助けてくれ。 アメリカがやっぱりおかしくなるとしょうがないから。
どうするのか?当時銀行員たちがとった行動はバブルをさらに加速させたのです。 空き地を探すとあっここが空き地だってなると土地の登記謄本をとって持ち主が誰かという事を見つけて持ち主のところに銀行員が訪ねて行くんですよ。 その結果当時億ションと言われる豪華マンションなどが次々に建設されたのですが時にはこんな事件も…。 …となると突然夜不審火が起きたり無人のダンプカーが突っ込んできたりみたいな事が起きて怖くなるから土地を売りますみたいな事がある。
しかしバブルは二度と起きないわけじゃないと言う池上彰。 バブルの事を知らない世代が中心になってくる大体30年後ぐらいそうなるんですよね。 この若い世代が経済の中心になってくると何それ?って言ってまたバブルが起きるかもしれないっていう事をちょっと考えた方がいいんだろうっていう事ですね。 その額日本列島改造論と銘打ち高速道路や新幹線で日本中を結ぶ政策を行った田中元総理。 政治とカネを象徴する時代と言えばバブル真っ只中の80年代後半。
だから国から補助金をもらってる会社は政治献金をしてはいけないよっていうルールもあるのに最近次々に補助金をもらってる会社から政治献金受けてましたって事が明るみになっているわけでしょ。 そして日本政府は中国と手を組む事で友好関係を築き国内経済の安定を図ろうとしたのです。 それが世代によって中国のイメージを変えるきっかけとなった事件とは!?1989年当時の中国共産党に対し学生や市民が民主化を主張。 むしろ中国人が中国共産党を嫌いになるならわかるけど…。