徹子の部屋 花總まり

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この番組のまとめ

本当にそういうシーンが多いんですけど最初の頃はその持っていただく…リフトに慣れてない頃はとにかく迷惑をかけちゃいけないとか自分も重いと苦しいので無我夢中にやってるととある時になんだか痛いってなって疲労骨折みたいなのも…。 随分何回も疲労骨折なすったんですってね。 昨年は『レディ・ベス』という公演と『モーツァルト!』という作品が…両方の作品がクローズアップされてたので。 『モーツァルト!』はモーツァルトのお姉さん。

「私の子は天才だ!」♪~「私はプリンセスで」♪~「弟はプリンスよ」あなたね?はい。 地声で喋ってる声のまんまどこまでもいくっていうのはもう一番難しいことですよね。 今歌っていらっしゃるのは全部地声で…出るようになったんですか?はい。 やっぱりね途中で駄目だなと思ったのは音楽学校で私コロラトゥーラ・ソプラノをやってたんですよ。 そこのところをいわゆる地声で高くっていうのがね全然私の地声が低くて高くならない…。 それをいかにこう…耳心地のいい聴き心地のいい声にするかっていうのを今一生懸命特訓して。

その時地声でやるようにするの?そこは。 一応勉強しておりますので。 でもそれでさっきの歌は相当地声でどこまでも引っ張ってやっていらっしゃいましたよね。 でも市村正親さんはすごく声が…さっきも伺ってた…声いいんだけどあの方はどうしたみたい?あの方は…少しお話しさせていただいたことがそうなんです。 私本当『モーツァルト!』の時はすごくよくしていただいて…。 「ニャンニャンニャンニャンニャンニャン」「ニャンニャンニャンニャー」ってこれ地声ですけど。

初めなんかバイオリンをやってらしたんですって?あなた。 私幼稚園が音大の付属の幼稚園…。 やっぱり何か専攻するのっていうのでバイオリンを。 好きでしたか?バイオリンは。 一時大学は音大に行こうかなと思ってバイオリンの練習できないかもしれないっていうことに気づいてバイオリンの道はやめようと。 お母様のお名前はとてもあれなんですけど青江奈美さんと。 青江奈美さんと仰って…。 青江奈美さん。

それでどのぐらいから舞台にお出になるようになりました?音楽学校が一応2年間予科本科とあって卒業して入団式っていうのを迎えるのでお掃除とかそういうのをいっぱいやってそれから本舞台にお出になる…。 面白かった?私もちろん子供の時から『徹子の部屋』…番組はやはり見てたんですね。 もちろんお花が飾ってあってこういうクッションがあってと思うんですけどその一つ一つにこんなにエピソードがあるなんて思わなかったので。 堀文子先生っていうね日本画の一番の方が…。