徹子の部屋 森進一

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この番組のまとめ

それも大変なことなんですけどNHKで「じゃがいもの会」をあなたがずっとやっていらっしゃる時ちっちゃかった子供が…。 私がNHKでしか会わないもんだからNHKに住んでるんだと思うらしくて「NHKのおばちゃん」って言ってた長男が今もうバンドすごいんですってね大人気で。 ONEOKROCKってバンド。 「ワンオク」ってみんなが言うようですけどTAKAって呼ばれてるって?はい。

でも台湾に行って「あっHiroのお父さんだ」「TAKAのお父さんだ」って言われちゃうとあれだけどできることなら森進一と言ってもらいたいという気持ちはわかりますけどね。 僕がたまたまそのスタジオに行ったら「久しぶりですね」って言うから「えっ?」って言ったら「テレサがねレコーディングの時に来て一生懸命教えてましたよ」って言われてそれで僕あっそうだったって思い出して。 煮て…毎日大変だから冷蔵庫に…。

私は全然もうこういうのを自分でやんない…。 僕もそれでねちょっとこれ以上もう駄目だなと思って自分でこう切り替えて。 昔は私ねちゃんときちっとねプラスチックの中にね…サラダとかちょっとお魚とかそういう体によさそうなものだけ持ってNHKだのなんだの行ったりして…。 お互いって言うと変だけどあなたもお一人の生活で伸び伸びと。 だんだんこう年取ってくるとなんかきちっとこう決めて自分をそこに置かないと安心しないんですね。 でも前はまあね家族用の家だったのを全部改築して一人用にしたんです。

でも話全然違うんですけどあなたのお父様とお母様は本当に仲がよくて。 まあね僕もちょうど小学校4年の時だったんですよ親が離婚したのが。 離婚したっていうか母親が僕がちょうど小学校からランドセル背負って帰ってきた時に出ていくところだったんですよ。 「僕も行く」って言ったの?そのままランドセル背負って沼津から下関に汽車に乗って行ったんです。 僕小学校4年だったからこれからはもう自分も小学校4年じゃいられないなと思いながら汽車で弟のおむつなんか替えてたんですけど。

自分を掘り下げる…一つのことを一生懸命やるっていうことはこういうことだよっていう手紙だったんですね。 それでまあ僕もああ本当に…もうその日暮らしみたいにでもこの声もこの体も全部両親からもらったもので一人でね。 あの頃はほらボランティアのねあれで色々忙しかったじゃないですか。 芸能生活50年の今年思いを込めて新曲をお作りになったんですけどそれは作詞作曲もご自分で…。 あの…曲をね作るのにこの詞だから演歌っぽくないのでちょっと色々長男にアドバイスもらってコード進行とかねそういうものを…。 中野サンプラザ。