黒柳徹子でございます。 そして作家の宮尾登美子さん。 愛川さんとはNHK時代からずっと長い間のお友達でした。 ジャンケンして勝ったからだけのことなんだけど永さんと。 あなたの深夜放送に私と永さんが出たのよ。 僕の深夜放送の頃。 なぜかそこで黒柳徹子っていうのはどうもキスをしたことがなさそうだと。 それで僕と永六輔さんがジャンケンして勝ったほうがするって言ったら僕が勝ったんです。 僕ジャンケン強いんです。 「ジャンケンで負けたら潔く」…。 学童疎開令って作ったのがね昭和19年の6月です。
つまり小学校4年生ぐらいの子供がねわんぱくな男の子がねかりんとうも友達にあげられないそんな時代はね…。 そういう子供が小学校の…。 本当に罪の意識を感じながら自分の友達にかりんとう1個もあげられない時代をねあたかもなんか正当化していい時代のように言ったりね。 戦争っていうのも例えば仕方なしに始まるんだというような考え方でもう一回見直してみたりねする仕方がすごく嫌いなんです。 いくよさんのほうはいつもファッショナブルっていう感じ。
「本当にがむしゃらに生きてきたくるよちゃんです」「漫才が好きで皆さんに本当に喜んでもらえたら笑ってもらえたらっていう気持ちで」「女性としての欲はねあまり私は感じないんです」「もう本当仕事ひと筋です」「そのくるよちゃんも病気を抱えながら本当に看病してくれて本当に心から感謝してます」「これからもまあお互いねあまり無理をせずに皆さんから心から喜んでもらって笑ってもらえるようなね今までどおりの漫才ができたらいいなと思っております」「まあこれからもくるよちゃんも無理せんと一生懸命頑張っていきましょう」「皆さん応援の
『鬼龍院花子の生涯』そして『陽暉楼』など様々な作品が映画化され舞台化されそれをご覧になった方も多いと思います。 『徹子の部屋』にご出演くださいました時には色んなお話をしてくださいましたけども太宰治賞を受賞なさいました『櫂』の題材となったご自分のお家のことをお話ししてくださいました。 女学校へいらした時なんかもはっきりするんですか?女学校の時なんか…第一県立女学校を落っこちましたからその理由で。 ですから本当の一人娘で父も私を可愛いと思うし一番関わりの深い男なんです。